ヴァレリー・ラルボー
幼なごころ
岩波文庫 2005
ISBN:4003750519
Valery Larbaud
Enfantines 1918
[訳]岩崎力
今年は、ぼくの方法の秘密を
ときどき書きたい。
それこそ遊蕩編集の本来だ。
まず「幼なこごろ」とは
何かということ。
ラルボーが答えを知っている。


  去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの(高浜虚子)
  年いよよ水のごとくに迎ふかな(大野林火)

 子供のころの正月のことが去来する以外、あるいは松岡正剛事務所の最初の数年間が懐かしいこと以外、ぼくにはとくに新年にあたって言いたいことがあるわけではない。
 べつだん達観しているのでもない(言い出したらキリがない)。正月が嫌いなわけでもない(若水を汲む大半の正月行事は大好きだ)。けれども正月はそもそもは棒のようなものか、さもなくば水のようなものなのである。
 ただし、この数年間は「千夜千冊」を継続したため、新年にどの本をもってくるのか、けっこう思案してきた。ああ、今年はどの本で始めようかという思案だ。新年の一冊はぼくの“初詣”だったのだ。
 ふりかえってみると、2001年は1月5日に保田與重郎の『後鳥羽院』(203夜)にしたのだが、これはその前の年末に『ゲバラ日記』をとりあげたことに因んで、後鳥羽院の水無瀬とシエラ・マエストラの山中を対比してのことだった。保田與重郎はずっと書きたいと思っていたお手合わせ願いたい相手で、新年の冒頭にその保田の後鳥羽院をもってくることで、自分なりの納得ができた。
 次の2002年は大林太良の『正月が来た道』(451夜)で二礼二拍手一礼を穏当にスタートし(それこそ若水の話を書いて)、2003年は前年のラストをフッサールやベルクソンのヨーロッパ哲学を捨てた九鬼周造でおえたので、やや意外な対比としてあえてフランスを捨ててアフリカに赴いたランボーの傑作『イリュミナシオン』(690夜)にした。
 高橋秀元君が「ランボーで年明けとは驚いたなあ」と言っていた。高橋君はランボーの研究者でもあって、なかなかランボーが登場しないなと思っていたらしい。

 2004年の正月は少々緊張していた。なにしろこの年のどこかで千冊になる。書きたい本がやたらに残っているなか、迷ったすえに司馬遼太郎の『この国のかたち』(914夜)を“初詣”に選んだものだった。日本の行方を問題にしなければならない年だと感じていたからだ。
 さて、これでこの年はめでたく大団円になるはずだったのだが、千冊を7月7日の七夕の夜に達成したのち、もう一冊だけ特別にやたらに長い宇宙論を書こうと思って、うっかり1001冊目にブライアン・グリーンの『エレガントな宇宙』を選び、これを名付けて「千冊一尾」としたのがすべてを狂わせた。一尾が“九尾”になっていったのだ。
 その途中で予期もせぬ胃癌になり、開腹手術と入院が加わり、「千夜千冊」の全集出版を申し出てくれた求龍堂の計画も狂わせてしまった。こういうときは、しばしばこういうめぐりあわせがおこるものだが、同時期、編集工学研究所の経済も一挙に不如意になっていた。このままでは「千夜千冊」そのものが空中分解しそうになっていた。
 それでどうしたかというと、退院後、ふらふらしながら編集工学研究所の立て直しを図って(インプレスに傘をさしてもらって)、澁谷恭子とともになんとか体裁を繕ったのち(その作業で病後の3カ月をまるまるつぶした)、うーん、これではいかんと思うようになった。かくて心機一転、活殺自在、求龍堂の「千夜千冊」全7巻ぶんを大きくシャッフルしきった「編集された全集」にしようと決意して、2005年に逆転の再開ともいうべきものに踏み切ったのだ。

 こうして2005年、わが誕生日の1月25日を選んでエリアーデの『聖なる空間と時間』(1002夜)をもって、新たな執筆を連打することになった。またまた正月が来たのだ。エリアーデにしたのはあらためて「ノスタルジアの起源」を書いておきたかったからである。
 このあとは、いま自分でふりかえっても項背相望を徹するような奮戦だった。木村蒹葭堂ラスキンコンラッドニーチェニジンスキー西田シュレディンガーゲーデル白秋一穂から、三島白土三平倉橋由美子ウォーホルドゥルーズ=ガタリクリステヴァまで、ともかく腕力ぶんぶん、全集の編集構成にふさわしい本を片っ端から書きまくった。
 それでも、全集の「部立」(ぶだて)のメドがつけば、その時点でピリオドを打つつもりだった。ところが、(とくに細部が)どうにも満足できない。あげくは、2006年の正月もまだまだ作業半ばという有様となり、1月10日に周士心の『八大山人』をとりあげて、またしても“正月の一冊”に心を致したのだった。
 かくして「部立」に見切りをつけたのはやっと5月22日のこと、柳田の『海上の道』を擱筆したときだった。
 こういうわけなので、正月の「千夜千冊」だけをとりあげても、この足掛け6年は、まるでニューイヤーコンサートでいつも新曲を発表しなければならないシンガーソングライターの重圧のなかにいたような正月だったのだ。

 以上の事情にくらべると、今年の正月は気分がずいぶん楽である。日枝神社に初詣をしたほかは外出もせず、ごろごろ、ごろごろ、めずらしく好きに本を読んでいた(好きに読書三昧に耽るということがしばらくなかったのだ)。朝鮮の民謡集、日本漢詩集、白川静の各種字引などだ。
 それにしては、昨年末に西郷隆盛宮崎滔天で重たい話をつづけさまに書いたばかりじゃないかと言われそうだが、あれはいわば自分への年来の宿題をはたそうとしたようなもの、いまはそのような気分からも少々離れたところにいる。
 が、正月なのだ。やはり何をとりあげようかと、昨日あたりからまたまた考え始めていた。しかし、今年こそは好きに書きたい。好きに書きつつ、ぼくに「方法の秘密」をもたらしてくれた書物たちを(これまでもたくさんあったけれど)、あらためてとりあげたい。
 そう思って、そうだ、あれがいい。あれはぼくに「少年であることの気概」と「少女のみがもつ魔術」をもたらしたと思い出した。ヴァレリー・ラルボーの『幼なごころ』だった。2年前、やっと岩波文庫に入って、誰もが手にとれるようになったこともある。

ページに描かれたイラスト

 ラルボーについては、フランス文学派の連中にさえあまり知られていないかもしれないが、とんでもない作家だった。少年少女の心の動きを描いては、他の追随を許さない独自のものがある。

 全集「千夜千冊」でいうなら、第1巻の第1章「銀色のぬりえ」、第2章「少年たちの行方」、第3章「リボンの恋」、第7章「行きずりの日々」あたりにアドレスされると予想するかもしれないが、事実、チャールズ・ディケンズ(407夜)『赤いろうそくと人魚』の小川未明(73夜)『金色の老人と喪服の時計』のジャック・プレヴェール(788夜)『銀の匙』の中勘助(31夜)『何かが道をやってくる』のレイ・ブラッドベリ(110夜)などに共通するものも、ないではないが、それで予想できる質感とはかなり異なる精彩が放たれている。
 その質感の精彩はきわめて知性の高い質感がもたらしているもので、加えて極限まで文体と文脈が練られたものばかり。一言でいえば悠遊閑適、極上の逸品なのである。ところが何が理由かは知らないが、これまでずいぶん誤解されてきた。

 だいたいラルボーは「小さい作家」と言われてきた。8歳から14歳までの少年少女を主人公としてきた作品が多いからでもあるし、ラルボー自身が大作家をめざしていなかったからでもある(大作家というものを拒否しつづけた)。
 しかし、「小さな作家」という評判ほどラルボーを誤解させるものはない。そんな形容はまったく当たらない。
 なにより、べらぼうな知性と構想をもっていた。それをどうやって説明していいか、ぴたりとした説明がしにくいのだが、たとえばジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』のフランス語訳はラルボーの仕事だったといえば、少しは伝わるだろうか(ラルボーは、貧窮のジョイスに自分の留守中のパリの自宅を無償で提供していた)。
 また、たとえばバルナブースという破天荒な主人公を設定した『A・O・バルナブース全集』という作品があるのだが(ラルボーの処女作)、これは南米の“富裕なアマチュア”が架空の全集を作ったという人を欺く設定だったといえば、ラルボーがボルヘス(552夜)に先立つ「知のサーカス」の名うての演出家であったことが伝わるだろうか。ラルボーは各国語に通暁した語学の天才でもあったのだ(子供時代からヨーロッパ各地を両親とともに旅行をしていた)。

 ようするにラルボーは言葉の本来を動かせる達人だった。登場人物の文字の綴り、言葉がもつ音のフィーリング、事物のもつ言葉の意図、文脈にひそむ言葉の鍵と鍵穴の関係も、ほどよい抑制と速度を効かせながらも、ふんだんに操っている。
 だからといって技巧には走らない。あくまで登場人物たちの「香ばしい失望」をのみ、言葉にしつづけた。だからそれが少年少女に向かったときには、他の追随を許さなかった。
 ぼくはジャン・コクトー(912夜)の『恐るべき子供たち』を読んだとき、ほとんど息が詰まるほどの衝撃をうけたけれど、それがラルボーの『幼なごころ』のあとに書かれた作品だったということを知って、そうか、ラディゲもコクトーもラルボーの変形だったのかと得心したものだった。

 『幼なごころ』には8つの小篇と2つの補遺が並んでいる。いずれも「ラ・ファンジュ」か「NRF」に発表したもので、当時すでにアンドレ・ジッド(865夜)がぞっこんだった。
 順番に読むのがいいが、びっくりしたいのなら傑作『包丁』から読むことを薦める。『失われた時を求めて』を書きつづけていたマルセル・プルースト(935夜)がこんなことを書いている。「『包丁』を読んだときの感動があまりにも強烈で、1年以上たった今でもまだ少し胸が痛みます」。

 ミルーはジュール・ヴェルヌが嫌いな少年である。それより嫌いなのは、大人たちがくだらない話題と冗談を交わして、「では、また」「それじゃ、また」という日々をくりかえしていることだ。ミルーはそういう大人たちをよそに、ダンバとローズというごく小さな目に見えない友達とばかり語りあっていた。
 ダンバは水面に反射する日の光に姿を隠す名人で、そのときはたいていフランス国旗をはためかせて未知の領域に進軍していく。ローズはアラブ人にさらわれてきたちっちゃな少女で、どの舞踏会にも必ずいる一番気になる女の子に似ている。ミルーはそういうダンバとローズと一緒に、おばあさんがイエズス会の歌をうたうのを聞くのが好きだった。
 ミルーの家には小作人の娘のジュリアが住んでいた。12歳になったばかりで、いつも靴下の繕いをさせられていた。ミルーには、おしゃまなジュリアをからかうことが一番好きな遊びだった。そこへ羊飼いの少女ジュスティーヌが連れられてきた。おばあさんがイングランドから引き取った。短い金髪は編んではいなかった。ミルーはその子の薬指に傷痕があるのを見て、どぎまぎした。 
 ある夜、ミルーはジュスティーヌのために『包丁のみじめさ』というお話をつくろうと思った。言葉を紡いでみると、何もお話になってこない。そのうち、詩というものをめざすようになってきた。ジュスティーヌは詩そのものなのだ。けれども毎晩、毎晩、その詩を想ううちに疲れて寝入ってしまった。
 こうして、その日がやってきた。誰にも計画を知られないようにして、ミルーは台所に入り、流しのところへ行って包丁を手にとった。目を閉じ、重い包丁をそっと手に落とした。たちまち血が流しに垂れた。ミルーは慌てて洗面器に水を入れ、手をそこにつけた。蛇口から流れる水は血を洗い、ミルーの薬指の先の爪がはがれていることを示した。

 だいたいはこんな話だ。筋書きだけでは何も伝わらないだろうけれど、この筋書きの前後にいろいろ“素知らぬ話”が加わっている。その“素知らぬ”ぶりもいい。
 が、読みおわった者には、ジュスティーヌの薬指の傷痕に合わせたミルーの包丁の静かな落下だけが、いつまでもこだまする。そういう作品だ。プルーストが「1年以上たった今でもまだ胸が痛みます」と書いたのがよくわかる。

 フランス語では「幼なごころ」はアンファンティーヌという。この語感がいい。アンファン・テリブルといえばコクトーの「恐るべき子供たち」だ。大人が想像できない子供たちである。
 しかしラルボーが綴るアンファンティーヌは、いっさいの社会の隙間にあって、そのアンファンティーヌの本質を「よそ」(余所・他所)にのみもっている。子供が社会に対抗しているのは当たり前だが、ラルボーの子供たちはその社会にはいっさい所属していない。そういうアンファンティーヌなのである。
 ぼくもまたそれを、『花鳥風月の科学』や『フラジャイル』で、「よそ」や「ほか」や「べつ」にひそむものと指摘した。
 まさにそのように、ラルボーが綴る子供たちは、あたかも「生まれつき夕方の光のように想われる孤絶」のなかに戯れる者たちなのである。「よそ」と「ほか」と「べつ」を知っている驚くべき「時分の花」たちなのだ。

 では、子供たちはどこで“そのこと”を知るのだろうか。ラルボーは言っている。“そのこと”は集団のなかの何人かの子供たちが信号を発しているのであると。
 どんな国のどんな町や村にも、一番背の高い子や一番背の低い子がいるものだ。また、一番髪の毛が長い子、一番虫取りが上手な子、一番リボンが大きい子、一番スカートが変な子、遠足に一番貧しいお弁当をもってくる子、みんなが楽しいときに一番最初に顔を俯ける子、一番笑わない子、一番きれいな子、一番声のいい男の子、必ずそういう子がいるものだ。
 アンファンティーヌ=「幼なごころ」とは、そのような集団のなかの“突起の子”を、別の子が自分はその子の唯一の崇拝者であると認知したとたんに(必ずそんなことを感じたのは自分だけだと思いこむ)、始まるものなのである。
 ちなみに松岡正剛事務所にも、去年の6月末に、小学校・中学校・高校・大学でいつも一番低かったという栃尾瞳が入った。ぼくの大学のゼミ生でもあった。

 大人たち、とりわけ両親は、「お前もそろそろみんなのようにならなくちゃね」と言うものだ。しかし「幼なごころ」とはその「みんな」という平均とはおよそ異なる突起や「よそ」や「べつ」からやってくる。風の又三郎のように、転校生が幼ない物語の主人公になりやすいのは、そのためだ。
 少年少女は、この平均を破るものの秘密に格別の関心がある。ふつうに元気なジュリアをからかうミルーが、新参のジュスティーヌの傷ついた薬指に秘密を感じるのは、そのせいである(ぼくは、いとこの眞智子の長くて細い指が長い髪をかきあげる素振りに神秘を感じた)。
 けれども、そのような「小さくて青い光のような美しい異様」への関心は、ときにひと夏で、せいぜい14、5歳のときに終わってしまう。そのせつなさはどんなものにも譬えようがない。どんなものにも譬えられないから、その例外的な「よそ」や「ほか」を運んできた子の憂いとともに、その記憶が刻印される。記憶が存在学になってしまうのだ。

 いったい、このような「幼なごころ」の発生と成長と消滅というものは、われわれの人生のなかの何を暗示しているのだろうか。「幼なごころ」の消長は、われわれに何をもたらしたのか。
 ヴァレリー・ラルボーは、そのことを「幼少年期を取り戻せないわれわれ」が頻りに思い、その解明に没頭することだけが、文芸や音楽や、恋愛や政治や、絵画や遊蕩の本質だと見抜いたのである。
 一応は、このような説明ができるのだが、けれどもこれだけではまだ半分のことしか説明していない。“突起の子”を感じる「わたし」のほうにも秘密があるからだ。

 本書の冒頭に『ローズ・ルルダン』が収録されている。田舎の寄宿学校にいる12歳の少女の「わたし」が、ローザ・ケスレルという美しくて賢い別のクラスの少女の噂を耳にしたところから、話が始まる。彼女は「レーシェン」(ローザの愛称=小さな薔薇という意味)と友達から呼ばれていた。
 この「わたし」の感覚がよく書けている。たとえば、「わたし」は叱られるのが好きだったのである。叱られたくて、禁じられていることをわざとするような気持ちがどこかにあった。食卓についたときの行儀を先生から叱られたとき、書き取りの点がよくてずるをしたでしょうと詰られたとき、悲しいのだけれど、その悲しさをじっとこらえるのが好きだった。
 ラルボーは、綴る。「仮面のような顔の裏側を通って、目から心臓に落ちていくように思えるあの涙の味が好きでした。一日の旅の途中で出会った泉のようでした」。
 それがいつのときからか、レーシェンのことを想えば、その悲しみが和らぐようになっていた。それはもっと幼かったころ、オールド・ティーローズが好きだったとき、その血の一滴がいとおしくなったことに似ていた。「わたし」はいつしかレーシェンに気にいられることばかりを考えるようになった。先生が「医務室に行く人?」と言ったとたん、胸が早鐘のように打った。

 こういう少女の「わたし」感覚は、男の子にはわからない。が、それをラルボーは解明して描写する。
 たとえば、「わたし」はレーシェンの本名のローザ・ケスレルの綴りや音に似せて、自分の名前をローズ・ルルダンと綴ったりする。たとえばレーシェンの上っ張りを心臓が飛び出るような思いで、ほんの数秒だけ羽織る。
 こういう場面は、アンファンティーヌにとって、そもそも「身近か」とは何かという本来を告げている。太宰治が『女生徒』で試みながら(507夜)、描ききれなかった問題だ。アンファンティーヌとは、身近かなるものの何に震えられるかをいちはやく選ぶ「自分が壊れる寸前の能力」のことなのだ。
 しかし、この感覚にはいつしか必ず“軽い撃鉄”が必ず落とされる。それはしばしば「空が見たいのに、窓ガラス1枚1枚に白い紙が貼られていく」ようなものだ。「わたし」のばあいは、レーシェンからある日、「変な子ね」と言われたことで、その撃鉄が落ちた。
 ところが、ところがだ、「わたし」はその言葉がほかの子の誰に対しても発せられたことがなくて、自分にこそ向けられている撃鉄だろうことが確信できたとたん、むしろ「変な子」を演じつづけることになるのである。

 余談になるが、こういうアンファンティーヌの「きわどい撃鉄」が理解できるなら、実は「いじめ」などという問題は、その発端にかぎっては、いじめられた子がひそかに望んだものだったかもしれないことが予測できるのである。
 それはともかく、ラルボーを読んでいると、たいていの昔日の甘美な記憶というものは、つねにフラジャイルな撃鉄によってもたらされていたことが正確に見えてくるはずである。
 ラルボーはそういう「わたし」を通して、少女や少年にひそむアンファンティーヌがきっと「逆光」や「まちがい」をもとにしていることを、すなわち「想わせぶりだけが少年少女の少年少女たる日々の本質」であったことを解明したのだった。

 ところで、ぼくが「幼なごころ」をどう綴ってきたかは、あるいは知る人もいるかもしれない。20代後半には、稲垣足穂(879夜)に倣って、「芸術は幼な心の完成だ」と言っていた。
 それが30代には「存在の本質は幼な心にある」にすすみ、40代になって、「ぼくは幼な心を編集しつづけている」になってきた。いま思えば、どれも似たりよったりであったけれど、ひとつ心残りだったのは、ヴァレリー・ラルボーのように、そのことを小さな作品にしてこなかったことだ。
 いや、筑摩書房の藤本由香里さんとは(『フラジャイル』の担当者)、そのあたりのことを『ケミストリー』という仮称のタイトルの一冊にする約束をしているのだが、そして、その草稿を少しは書きはじめたのだが(50枚くらい)、そのあと何ということか、「ケミストリー」というバンドが流行したり、ぼく自身が「千夜千冊」にかまけたりで、これはいまなお放ったらかしになっている。そのうちぼくの“気分の包丁”が蘇ってくるときがあれば、また執筆再開することもあるだろう。
 なんだか、正月に年頭の課題をメモしているような話になってしまった。今夜はこんなところで店仕舞い。ラルボーの言葉を引用して、今年の劈頭にあてておく。「私は、この歌がごく僅かな人々にしか聞こえないことを願っている」。

本書を翻訳している岩崎力氏が撮影した、
ラルボーゆかりの写真が掲載されている。

附記¶ヴァレリー・ラルボーは1881年、フランスの鉱泉の町ヴィシーの富裕の家に生まれた。生来の虚弱体質だったこともあって、周囲が気遣いすぎる環境に育ったようだ。少年期からしばしばフランス各地の保養地を訪れたほか、早くからスペイン、イタリア、イギリス、ドイツ、さらにはロシアをも見聞して、当時としてはかなりめずらしい“ヨーロッパを知る少年”となった。1909年にジッドらによって「NRF」が創刊されると悠然たる寄稿を始め、それからは、一方ではジョイスを初めとした各国文学の実験性や前衛性の紹介を、また、その自作での展開を、他方では少年少女にひそむ神秘と魔術の珠玉のような作品化を陶冶した。各国語に通じていたラルボーだったが、晩年、失語症に罹ったという運命的な障害をもつことになったことについては、いつかまた書いてみたい。
 ところで、本書の翻訳は絶品。日本でラルボーを最初に翻訳したのは堀口大学で、ついでは伊吹武彦や新庄嘉章だったようだが、ぼくは雑誌「海」に岩崎力がときどき翻訳していた『幼なごころ』の各篇に瞠目していた。岩崎はラルボーの翻訳者に最もふさわしいラルボー派であろう。岩波文庫になった本書には浩翰な「訳者あとがき」とともに、岩崎が十数年にわたって撮りつづけたラルボーゆかりの写真が20点ほどちりばめられていて、なんともせつない気分にさせてくれる(解説の堀江敏幸はつまらない)。
 ラルボーの訳書はほかに、『A・O・バルナーブス全集』(河出書房新社)、『仇ごころ』(第一書房)、『青春物語』(新潮社)、『罰せられざる悪徳・読書』(みすず書房・コーベブックス)、『美わしきフェルミナ』(新潮文庫)、『めばえ』(旺文社文庫)など。

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