アーネスト・ヘミングウェイ
キリマンジャロの雪
角川文庫 1969
ISBN:4042135048
Ernest Hemingway
The Snows of Kilimanjaro 1936
[訳]龍口直太郎
ちょっと最近の心のぐあいを
書きたくなった。
そうしたら、
キリマンジャロの凍豹が見えた。
今夜のぼくは、
ヘミングウェイの背中ばかり見る。

 ヘミングウェイは62歳で自殺した。猟銃で頭をぶち抜いた。ちょうどいまのぼくの歳だ。なぜ自殺したのかなどという阿呆な議論は用意したくない。
 今夜、ヘミングウェイをとりあげることにしたのは、あることが微かな風の影向のようにぼくの脳裡を右や左に動いているからだ。ときに前後にも動いている。「あること」というのは、どうやら「死」が行き来しているらしいということだ。
 これは42歳前後にも行き来していたもので、そのころは夕方にやって来て、またどこかへふっと消えていた。それが数日おきに繰り返す。それだけだった。そのうちそういうことはなくなった。
 この数カ月、やはり「死」が去来する。べつだん体のどこかが悪いわけではない(いいわけでもない)。「死」について考えたいわけでもない(見ているだけだ)。勝手に向こうからやってくるだけだ。ただし、今回の「死」は「不在になる」とは何かという、ちょっとばかり重たい審問を伴っている。そういう奴を連れている。たいていは疲れはてて眠りに入る前のことだ。
 これは尋常ではない。面倒くさい。
 
 「不在になる」というのは、「自分が不在になる」ということで、この世から消えるということだ。そんなことが当たり前であるのはむろんよくよく知っている。歴史を見ても、まわりを見てもすぐわかる。だからふだんはそんなことを、考えすらしない。今度も注目したわけではない。ただ見ている。それにもかかわらず、「死」は昨夜も午前3時あたりにふうっとやって来て、「お前の不在を感じろ」と言う。困った奴なのだ。

 こんなことがおこっていたので、そろそろヘミングウェイを書こうかと思っていた。何かが離れていくという実感について、ヘミングウェイが書いていたからだ。
 ぼくの周辺でも何かが離れつつあった。離れたがっているものもいるようだ。そう感じて、すでに2カ月以上がたつ。
 なぜヘミングウェイかということはあとで暗示するけれど、ヘミングウェイを書こうかなと思ってから、そのこと(ヘミングウェイについて書くということ)自体が面倒になってきた。べつだんヘミングウェイじゃなくてもいいじゃないか。
 仮に「死の去来」を扱うなら、それこそそんなテーマを書いた作家はごまんといるのだし、それをふいにヘミングウェイだと感じたことを書くには、その意識の動向を多少は突き止める必要があった。が、そういうこととべつに「死の去来」があるのだから、これはおおいに面倒なのだ。
 
 面倒はほかにもあった。『武器よさらば』か、それとも『誰がために鐘は鳴る』のどちらかだと迷ったのがいけなかった。いまさらアメリカ文学史を書く気はおこらないし、ぼくは村上春樹のように『グレート・ギャツビー』なんて買わないよと言うのももっと億劫だし、それになにより『武器よさらば』と『誰がために鐘は鳴る』では、そのどちらかによって書くことがいくぶん変わってしまいそうなのが、嫌だった(『老人と海』だと、もっと変わる)。
 いやいや、「千夜千冊」の選書にはいつもこういう迷いはつきものだから、それだけならかまわないのだが、最近の「死の去来」の感覚のなかでヘミングウェイの作品を選ぶのが、お門ちがいだったのだ。

 さあ、どうするかと放ったらかにしているあるとき、急にあの一節を思い出した。「キリマンジャロはマサイ語で“神の家”という意味で、その山頂には、凍りついた一頭の豹が横たわっている」。
 そういう一節だ。そこまで思い出し、そのあとにもっと大事なことが書いてあったように思った。でも、忘れていた。
 久々に書棚の下積みになっていた角川文庫を開いてみた。このように、あった。
 「キリマンジャロは、高さ19710フィートの、雪におおわれた山で、アフリカ第一の高峰だといわれる。その西の頂はマサイ語で“神の家”と呼ばれ、その西の山頂のすぐそばには、ひからびて凍りついた一頭の豹の屍(しかばね)が横たわっている。そんな高いところまで、その豹が何を求めてきたのか、いままで誰も説明したものがいない」。

雪に覆われたキリマンジャロの山頂

 ヘミングウェイが『キリマンジャロの雪』を書いたのは、1936年の37歳のときである。「エスクワィヤ」に書いた。それが8月号で、ほぼ同時期に「コスモポリタン」9月号に『フランシス・マコンバーの短い幸福な生涯』を書いた。
 この1936年というのは、スペイン内乱が勃発した年で、このあとヘミングウェイは何度もスペインに出向いて志願兵となり、第二次世界大戦の最中の41歳のとき、その体験にもとづいた『誰がために鐘は鳴る』を書くことになる。
 『キリマンジャロの雪』を書いたのも、34歳のときの体験にもとづいている。アフリカに狩猟旅行へ行った体験だ。
 もともとヘミングウェイは戦いが好きな男だった。イリノイ生まれの父親っ子で、3歳で釣り道具を、10歳で猟銃を与えられていた。その攻撃的な幼少体験がすこぶる大きくて、そのままスポーツ万能、射撃大好き、魚釣り夢中の、出掛けたいところにはどこにでも行く男になった。
 そういう男がアフリカの狩猟に憧れたのは意外でもなんでもないけれど、では「キリマンジャロの凍った豹」に自身の行方を直観したのはどうしてかというと、そのことを語るには、その前にちょっとだけ編年的な経緯をしるしておく必要がある。
 ともかくも戦いがあったのだ。そして「喪失」があったのだ。いや、ぼくのような「消失」じゃない。

 ごく手短かに書いておくが、ハイスクールを卒業した18歳が大正6年だ。アメリカが第一次世界大戦に参加した。すぐに兵役を志願するのだが、左目の故障で断念し、イタリア軍の赤十字要員となって、ミラノに行った。
 爆発現場にすぐに飛ばされて、前線で227カ所を負傷した。両脚からは28個の弾片が摘出された。「暗闇の恐怖」が逃げていかなくなった。
 それからはいったんトロントで新聞記者となり、結婚し、23歳のときにガートルド・スタインやエズラ・パウンドやに出会ったのが、文章作法の盤上錬磨の入口になった。ついで、そのエズラ・パウンドとスペインで闘牛を見たのが血を滾(たぎ)らせた。このスペイン体験は27歳のときの『日はまた昇る』になっていく。
 文芸界は、これって「ロスト・ジェネレーション」じゃないかと驚いた。どう見たって「喪失」が主題にも文体にもなっていた。有名な話だが、原稿冒頭の16ページ分もばっさり削ったのである。全体も3分の1になっている。
 28歳、離婚の後、パリ駐在の「ヴォーグ」の記者のポーリンと再婚して、女に目のないところを発揮するのだが、そのぶんだかなんだか、カトリックに改宗した。翌年、父親がどんな予兆もなくピストル自殺した。ギョッとした。その翌年にはニューヨークの株が大暴落し、世界は一挙に恐慌状態になった。何も帳尻のあわないことだらけ、とんでもないことの連続だった。
 それが30歳のときだ。ヘミングウェイは『武器よさらば』を書き上げた。イタリアの爆破現場にいたときの体験にもとづいたもので、最終章は17回にわたって書きなおした。筋書きは省くが、主人公のフレデリック・ヘンリーは看護婦キャサリンを惚れ抜いたのに、キャサリンは最終章で死ぬわけだ。こういうふうに、終わっていく。

看護婦たちを追い出して、ドアをしめ、電灯を消したが、何の役にも立たなかった。塑像に別れを告げるようなものだった。しばらくして、ぼくは病室を出て、病院をあとに雨のなかを歩いてホテルへ戻った。

 31歳。ドス・パソスと旅行中にモンタナで自動車事故をおこした。事故は宿命のようなものだった。けれども、それで根っからの血が収まるはずはない。またまたスペインに行って闘牛を題材にした『午後の死』を書き、それがゲームだとわかると、34歳のときにポーリンを連れてアフリカに入った。
 戦争はおこっていないが、アフリカはさすがに苛酷だった。35歳のときにアメーバ赤痢にかかり、ナイロビで療養を余儀なくされた。いつ死んでもおかしくなかったから、サファリにも、海釣りにも、ボクシングにも夢中になった。
 37歳、昭和11年、あのスペインでフランコ将軍のファシスト内乱が勃発した。どきどきしたヘミングウェイは『キリマンジャロの雪』を書く。同時期に書いた『フランシス・マコンバーの短い幸福な生涯』は、ブレットが夫を巧妙に射殺するという話で、やっぱり「戦い」がそれと等価の「喪失」であることを暗示した。

 ま、『キリマンジャロの雪』を前後する経緯については、このくらいでいいだろう。今夜はヘミングウェイの名だたる作品や波乱の人生については、背中だけが見えていればいい。
 そこで、『キリマンジャロの雪』である。
 この話は、ヘミングウェイらしき作家のハリーが「おれは死にかけているんだ」という場面から始まる。右足に壊疽(えそ)が始まっていて、もはや回復の見込みがないらしい。そこで、ハリーはこう感じる。
 「いま感じているのは、ひどい疲労と、こんなふうにすべてが終わりを告げたという憤りの気持ちだけだ」。

 ハリーの気持ちは、おそらくこうなのだ(ひょっとすると、ぼくの気持ちのいくぶんかも混じっている?)。
 これまでの日々、物事のあれこれに分別がついて、立派に文章が書けるようになるまではと密(ひそ)かに思っていた。そのため、実のところは書かずにとっておいたいろんなことがあったのに、それが突然にこんな羽目になり、もはやそういうことを書く必要すらなくなってしまった。ハリーはそのことに失望しているのだ。
 が、「実のところは書かずにとっておいたいろんなことがあった」といっても、もともと作家なんて、ウソをつくために仕事をしているようなもの、ハリーもウソでパンとバターをしこたま稼いでいたことは知っていた。ただ、そうしていればボクサーが試合の前にそうするように、つまりは書いて消して、書いて消していけば、せめて「魂の脂肪」をそれなりに剥ぎ取ることができるだろうとは思っていた。
 けれども、それももう時間がなくなった。では、ハリーはどうすればいいのか。もしウソで生きてきたとするなら、ウソによって死ねばいいのか。それがわからない。
 そう思えば、自分が才能を使いきれずに、そのかわりに才能を売りものにしていたと感じざるをえなかった。ハリーは少なくともエネルギーを売って生きてきてしまったのだ。その売り払ったエネルギーは戻らない。
 そういう自分を、一緒にいる女(妻である)がしきりに慰める。けれども、いまやそれすら煩わしくなっている。ただ、ひたすらいろいろな旅先で見た雪が行き来するばかりになっているのだ。

 こうしてまったく動けないでいるハリーの脳裡を、雪まじりの何かがたえずフラッシュバックする。それを「死の去来」ともいってもいいし、まったく同じ意味だが、「生の往来」といったってかまわない。
 ハリーは煩悶する。ひょっとすると、これは「書くための」の生と死の戯れなのか。もしそうだというなら、最後の力をふりしぼれば、何もかもがひとつながりの文章に圧縮できるはずなのだが、きっとその時間すら残っていないのだろう。
 いや、時間すら煩わしい。書くことは、体験することではなかったのだ。時間があって書いたからといって、それが何の代物なのか。書かなかったことだって体験だったはずである。それなのに、ハリーは書いて、削って、書いて、某(なにがし)かの体験を作ってきた。こんなはずではなかったし、しょせん、一生とはその程度のものでしかなかったのかもしれないし――。
 そう感じた瞬間に、それ、向こうに「死」が動いている。去来する。いや、そいつが足元にやってくる。「不在」がやってくる。

  「わずらわしいよ」と彼は大声を出して言った。
  「何がですの、あなた?」
  「なんでも、バカ長くやりすぎるとさ」

 こうしてハリーは呟いた。「おれがいままでに一度もなくしたことのないたった一つのものは、好奇心なんだよ」。
 「見ると、前方に、視界をさえぎって、全世界のように幅の広い、大きい、高い、陽光を浴びて信じられないくらい純白に輝いているキリマンジャロの四角ばった山頂がそびえている。そのとき、彼は、自分の行くところはきっとあすこだなと思った」。
 これで、話が終わる。これが『キリマンジャロの雪』である。
 さあ、ぼくがヘミングウェイかなと感じた理由は少しは暗示できただろうか。「不在」とは何かという話だ。それが伝わったなら、今夜は誰かがぼくを眠らさないでくれ。

 ひとつだけ蛇足を付け加えておけば、ぼくがヘミングウェイを最初に読んだのは英語の原文による『老人と海』だった。
 それ以来、どうも翻訳のヘミングウェイでは気にいったものにお目にかかれないでいる。もっとも、このあとヘミングウェイを読むなんてことがまたおこるのか、どうか。きっとその前に、ぼくが、ふっふっふ、たとえば『比叡マンジャロの雪』でも書くことになるのだろう。21歳のときに作った歌を思い出した。

 
風は山から降りてくる
レタスのかごをかかえて
唇はくびれていちご
遠い夜の街を 越えて来たそうな
  
うちは比叡おろしですねん
あんさんの胸を雪にしてしまいますえ
うちは比叡おろしですねん
あんさんの胸を雪にしてしまいますえ
  
風は琵琶湖に落ちてくる
北山杉を下に見て
夕焼けはよそゆきマント
光る銀の靴を はいていたそうな
  
うちは比叡おろしですねん
あんさんの胸を雪にしてしまいますえ
うちは比叡おろしですねん
あんさんの胸を雪にしてしまいますえ
  
風は今夜も吹いている
死んではだめよと言いながら
さよならは小さなみぞれ
そっと京都の闇に 捨ててきたそうな
  
うちは比叡おろしですねん
あんさんの胸を雪にしてしまいますえ
うちは比叡おろしですねん
あんさんの胸を雪にしてしまいますえ

(作詞作曲=松岡正剛 歌=小室等)

琵琶湖から望む雪の比叡山

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