才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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性的差異のエチカ

リュス・イリガライ

産業図書 1986

Luce Irigaray
Éthique de la Différence Sexuelle 1984
[訳]浜名優美

 フェミニズムがこんなにも多様で、こんなにもラディカルで、こんなにも痛快なものになるとは、70年代には予想できなかった。痛快というのは、たとえば男根哲学をフィロソフィならぬ「ファロソフィ」と名付けたり、アナログを肛門(アナル)とひっかけて肛門主義者(アナロジスト)と言ったりするウィットも含んでいる。ぼくはこういうセンスが好きなのだ。
 1973年のことだったか、日本の最初のウーマンリブの活動に18歳ほどで身を投じていた木村久美子が桑沢デザイン研究所をやめて工作舎にやってきた。言葉の端々にリブ、リブという響きが入る。マッチョな男主義のつまらなさを早くも実感しているようでもあったし、理論的戦闘性に憧れてもいるようだったが(ちょうど中ピ連が話題をさらっていた)、当時のぼくにはまだウーマンリブ(ウィメンズ・リベレーション)の運動理論というものがどいうものかの見当もつかず、せいぜいボーヴォワールで応じるのが関の山だった。田中美津をやっと読んだばかりのころで、たしかフェミニズムという用語もなかったのではないかと思う。
 そのあと、大和書房のベティ・フリーダンの『新しい女性の創造』と自由国民社が刊行したケイト・ミレットの『性の政治学』を読んで、これはただならないものだと驚いた。フロイト一派D・H・ロレンスやノーマン・メイラーが勝手なセックス・ロール(性役割)というイデオロギーをつくったというのでこっぴどくやっつけられている。
 その後、工作舎には木幡和枝率いる同時通訳者の女性たちと、男には頼みがいがないという気概の十川治江や田辺澄江や松本淑子たちが加わって、一挙にラディカル・フェミニンな空気と言質が渦巻いた。しかしフェミニズムの理論がどういう展開を見せていったのかを、ぼくがそれなりに知るようになったのは80年代に入ってからのことで、それも上野千鶴子の懇切な説明をうけてからのことだった

 フェミニズムとは何かということを短く説明するのは不可能である。カバーすべき領域が縦横に織りなされて、一概にも一様にもならない。たとえば今夜のぼくはリュス・イリガライの『性的差異のエチカ』という一冊をとりあげるけれど、この本を案内するにもイリガライの他の本のこと、イリガライがこのような本を書くにいたったフェミニズム前史のこと、ラディカル・フェミニズムやポストモダン・フェミニズムのこと、その後のフェミニズム思想によってイリガライがどのように受け取られたかということ、そういうことをある程度は説明する必要がある。

 フェミニズムは女性学(ウィメンズ・スタディーズ)であるが、女性一般のための思想ではない。女性がどのように生まれ育ったか、どのような言語文化を受けたのか、男性によってつくられた思想とどのように交差したかということも、かかわってくる。イリガライはベルギー出身でフランス国籍をとっているのだが、そのこととフランスにボーヴォワールが先行していたこととは無縁ではない。
 といったようなことを前提にして話すには、フェミニズムの流れが見えたほうがいい。ただ、そんなことはぼくには荷が重すぎるので、ここでは別の本を借りてその露払いの真似をしておきたい。
 江原由美子と金井淑子が編集構成した『フェミニズムの名著50』という本がある。女性中心の執筆陣40人以上を配して、18世紀末のメアリ・ウルストンクラーフトの『女性の権利の擁護』から1994年刊行のテレサ・デ・ラウレティスの『愛の実践』までの、約200年にわたるフェミニズムの流れの名著中の名著50冊を解説した。よくできているだけでなく、新鋭の研究者が執筆しているのが新鮮だった。
 同じく江原・金井にはこの本の前身にあたる『フェミニズム』という本もある。いずれもフェミニズムを「20世紀最大の知の革命」として跡付けていた。以下は、主にこの2冊を参考にした。

 フェミニズムの流れは第一波フェミニズム、第二波フェミニズム、現代フェミニズム、日本のフェミニズムというふうに分けて見たほうがいい。江原・金井の本の構成もそのようになっている。
 第一波フェミニズムというのは近代フェミニズムの夜明けを告げた時期のことで、書名で追っていくと、劈頭にはイギリスのウルストンクラーフトの『女性の権利の擁護』(1792)がまず掲げられる。フェミニズムの古典中の古典である。フランス革命の引き金となった啓蒙思想と人権思想に刺激をうけつつもルソーの『エミール』を痛烈に批判したもので、ルソーが男子のエミールには教育を施しながら、将来の妻になるソフィには男の歓心を買うだけの躾をしたにすぎなかったことを突いて、女性にはもっと多くの権利があるのではないかと切りこんだ。
 ぼくにはアナキズム感覚に溢れていたウィリアム・ゴドウィンとの恋愛も興味深いのだが、ともかくもここに近代フェミニズムの出発点があった。同時代のブルーストッキングの動向も無視できない。
 ついでジョン・スチュアート・ミルの『女性の解放』(1869)が火をつけた。妻のハリエット・テイラーの女性解放観の影響が大きかったといわれるが、ミルの基本思想は個人の自由競争を発展させるには、女性の隷従を放っておいては自由社会にはならないというものである。
 この2冊に並ぶのが、大正12年に山川菊栄が邦訳して日本の婦人運動家にもよく知られたベーベルの『婦人論』(1879)と、マルクス主義フェミニズムのバイブルとなったエンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』(1884)である。エンゲルスのものは普遍的一般者である労働者として女性をとらえた記念碑で、とくに「家族」「結婚」「私有」から女性を解放しようとした思想は、いまなおフェミニストに"起源の共感"を呼んでいる。
 第一波フェミニズムの最後にはヴァージニア・ウルフの『自分だけの部屋』(1929)があがる。『オーランドー』の作者でブルームズベリー・グループと交流したウルフは、その後のフェミニズムのひとつの特色となる文学批評の方法を確立した。
 フェミニズムには男性がつくりあげた片寄った議論の仕方にどうやって切り込むかという視点が強くはたらくのだが、とくに男が文学作品のなかでどのように女を描いたかということは、小説が世の中に与える影響が大きいだけに、恰好の批評対象になる。たとえば家父長としての父親に対比される娘の描き方、たとえば薄幸の女の主人公のセリフ、たとえば動物のように扱われる女の性、たとえば女どうしの関係の薄っぺらな描写‥‥。とくに、女にとってはたいしておもしろくないポルノグラフィがなぜできたのかというようなことは、フェミニストの分析の対象になった。
 のちにこうした文学批評の方法を、エレイン・ショウォールターは「ガイノクリティシズム」と名付けた。

 第一波フェミニズムがリベラル・フェミニズムの幕を上げたとすれば、第二波フェミニズムは男が勝手につくりあげた「女らしさ」の欺瞞をことごとく引っ剥がす作業にとりくんで、勇ましい。本格的思想戦線の時期である。ウーマン・リブ、ラディカル・フェミニズム、マルクス主義フェミニズム、ポストモダン・フェミニズムに及ぶ。先頭を切ったのはボーヴォワールだった。
 ボーヴォワールが『第二の性』(1949)で突き付けたメッセージが「女は女に生まれない。女になるのだ」と「女とは他者である」というものだったことは、あまりにも有名になった。とくに「女は他者化された性である」という見方には劇的な哲学が秘められていた。もっともこの本は1000ページをこえるだけあって、もっと多様な問題を議論していた。井上たか子や金井淑子はいまこそ再読の必要があるのではないかと訴えている。
 ベティ・フリーダンの『新しい女性の創造』(1963)やケイト・ミレットの『性の政治学』(1970)がフロイディズムの限界を暴いたことは先にも書いた。男性がでっちあげた女性心理には与せないというものだ。
 フロイトによれば、少女はクリトリスを小さなペニスとして享受して男子に似た感情をもつのだが、その後、男子にくらべて劣ったものしか貰えなかったとして母を憎み、ペニスの持ち主としての父(あるいは夫)への幻想をもつ。やがてこの幻想は男子を産みたいという欲望に変じて、自分を子宮をもった母体として意識するようになる。一方、男の子はペニスをもたない母を通して女を見るようになり、やがて自分が父によって去勢されるのではないかという不安を感じて、これを超越しようとする。この過程で一方ではエディプス・コンプレックスが生じ、他方ではエディプス(オイディプス)としての主体の確立がめざされる。
 このように図式化することもできるフロイト理論の波及は、フェミニズムからすると「ちょっと待った」というものだった。ペニス願望を女性に"挿入"したフロイト理論で組み立てられた精神分析療法は、女性を抑圧しているとも見なされた。
 いまでもこのようにフロイトを否定的に見るフェミニストは少なくないのだが、しかしでは女性のための心理学や精神分析をどのように組み立てるかというと、一筋縄ではいかない。
 シュラミス・ファイアストーンの『性の弁証法』(1970)はフロイディズムを全否定することなく生物学をも視野に入れて、ジュリエット・ミッチェルの『精神分析と女の解放』(1974)は家族意識が「性」を形成する要因を視野に入れて、欲望と歪曲の正体を研究しようとした。これらはその後に「ジェンダー」(性差・性別)という概念を持ち出す準備になっていく。ペニスやヴァギナに特定された欲望の歪曲ではなく、心身と社会におけるジェンダーの発生と転移こそが問題になっていったのである。

 フリーダンが1966年に設立したNOW(全米女性機構)や1973年の女性銀行などの動きは、日本ではウーマン・リブとしてうけとめられ、女性差別反対運動、人工妊娠中絶合法化運動、ピル解禁運動などに広がっていった。
 70年代の左翼運動とフェミニズムの交差も激しかった。その関係はのちに「妻(フェミニズム)と夫(マルクス主義)の不幸な結婚」とも譬えられたけれど、性の抑圧の問題をもっと社会的な階級の抑圧や資本の抑圧や民族の抑圧とも関連づけないかぎりフェミニズムは成長しないのではないかという潮流となり、これらはマルクス主義フェミニズムとしてひとつの思想の流れを築いていった。
 こうして70年代のフェミニズムはありとあらゆる領域にその翼をひろげはじめた。アン・オークレーの『家事の社会学』や『主婦の誕生』(ともに1974)は家庭の秘密を暴いてその本質を追求し、エレーヌ・シクスーの『メデューサの笑い』(1975)は女はもっと快楽について書きなさいと挑発し、メアリ・デイリーの『教会と第二の性』(1968)『父なる神を超えて』(1973)はもっぱら父性に集中されてきた神の問題を広範囲なシスターフッドに取り戻す宣言をものした。
 そうしたなか、ナイル・デルタの農村に生まれたナワル・エル・サァーダウィが書いた『イヴの隠れた顔』(1977)は、医師となりマルクス主義者ともなった著者がうけたアラブ社会での体験をもとに、新たな問題提起をフェミニズムにもたらした。彼女には幼いとき、親類の女たちに体を押さえられて生殖器を切除された割礼体験があった。この本はぼくも読んでゆさぶられた一冊だったのだが、サァーダウィが古代ファラオーの時代にひそむイシス信仰に寄せた思いなど、なかなか複雑なものを感じた。
 このサァーダウィの一冊が世に問われた1977年、今夜とりあげたイリガライの『ひとつではない女の性』が刊行されたのである。
 イリガライはその3年前、博士論文『検鏡、他者としての女』で衝撃的なデビューを飾っていた。『検鏡』はあっというまに11ケ国語に翻訳されたせいもあってその反響たるやすさまじく、それに応えて『ひとつではない女の性』が書かれたのだが、この時期が第二波がラディカル・フェミニズムからマルクス主義フェミニズムまで出揃った時期にあたっていた。

 リュス・イリガライの思想はいくつかの軸をもっている。ヨーロッパにおける男による女の支配の歴史を書きなおすことが最も大きなテーマのようではあるが、それとともに『フェミニズムの名著50』で中嶋公子が要約して指摘したように、特筆すべき3つの狙いを完遂しようとしていた。
 第1には、女のセクシャリティは複数にまたがっているということを主張した。そのころフロイト理論の解釈をめぐってアメリカのフェミニストたちは膣よりもクリトリスの役割を重視する向きが多かったのだが、ボーヴォワール派のイリガライはむしろ二つの外陰唇に着目し、女の自体愛は男の自体愛と異なって、快楽のための媒介を必要としないことを訴えた。それが「他者はすでに女の内にある」「女の性器はつねに二重、さらに複数である」という表現になった。ここには「女は他者を所有し支配することはない」という思想が突き出された。
 第2に、言葉のもつ性別が何を意味するのかを徹底して探求した。男が築いた哲学や学問が本来の性別を無視し、男根的な言説に片寄っていることをプラトンにまでさかのぼり、デカルトやスピノザをへて現代思想にいたった思想には「女がいない」ということを告発した。その後のフェミニズムでは、これを「エクリチュール・フェミニン」の試みと名付けている。
 第3に、女が商品化されてきたことと闘った。「女の市場」や「商品としての女」はなぜ生まれ、なぜ放置されつづけたのか。イリガライはレヴィ=ストロースが社会成立の基盤に「女の交換」があったと解析したこと、マルクスが社会成立の基盤に「商品の交換」があったと分析したことを両睨みして、家父長制にひそむ女の売春婦性の発生にひそむ問題に注目し、すべての女がそのことを拒否した社会がどういうものであるかを展望しようとした。
 こうして『性的差異のエチカ』となったのである。本書はロッテルダムのエラスムス大学での数度にわたる講義をもとにしたもので、それゆえ邦訳も「ですます調」になっていて、タイトルが恐(こわ)持てしているわりにはたいへん読みやすい。

 本書は一種の講読形式をとっている。テキストとして選ばれているのはプラトン『饗宴』のディオティーマの話、アリストテレス『自然学』第4巻、デカルト『魂の情念』、スピノザ『エチカ』第1部「神について」、ヘーゲル『精神現象学』第4部「精神~男と女」、メルロ=ポンティ『見えるものと見えざるもの』の「絡み合い・交叉配列」、レヴィナス『全体性と無限』第4部「エロスの現象学」などである。
 それぞれおもしろいが、今夜はそれらを横断してイリガライがぼくに訴えてきたところを、ごく少々つまんで紹介しようとおもう。思いきった要約にした。訳文は浜名優美のものをそのままつかう。ただし順序はいくぶん入れ替え、接続詞を補い、若干の字句を省いたり言い換えたりした。ざっと、こんな感じである。

 人間の思想や歴史をいいあらわすあらゆる場面において、人間すなわち男は理論的・道徳的・政治的な言説の主体でした。そこに述べられる性はヨーロッパではつねに男性的-父親的なのです。それゆえ女性がこれらの成果を思索し体験するには、この性的差異をふくむ空間と時間の問題系を全体として再検討する必要があります。
 男性的なものと女性的なものを結びつける絆は、神聖なものと人間的なものの結合であるはずです。したがって性の出会いは祭りや祭りの挙行であって、仮面をつけた関係や論争的な関係や主人と奴隷の関係ではありません。
 そもそも女は「場」そのものなのです。女は無限大と無限小のあいだの通路と移行を引き受けるのです。女性性器は質料でも形相でもありませんが、容器なのです。男の側には誘惑、愛撫、勃起、射精、そして胎児への退行があります。男は子供の「彼プラス1」なのです。女は男性性器に形を与え、内側から男性性器を彫刻します。女は容器そのものとなり、性行為の能動的な場となります。
 男性性器は外在性としてあらわれています。それは自己を通して自己を愛することができます。また、その性器を見せることができるあの奇妙さをもとに、無限に代用物を形成していきます。女性性器については事情は同じではありません。女は欲情を抱いている自分を見ることはできません。女は自分が産む子供を通して自己を愛するのです。
 いいかえれば女には、女自身にほかならぬあの住居を自分を包むように裏返す能力が欠けているのです。それゆえ、女は自己を愛するためには、男の回帰に自分が従属していると思わないようになる必要があります。
 ひとつの形態が、つまり女どうしの愛という形態が潜在状態として未決のままに残っています。しかし女たちのあいだの愛が生じうるためには、女たちのあいだにひとつの象徴体系が創出されなければなりません。その入口が女たちのために生かされるには、なんらかの具体的な言語能力が必要です。
 男はそういう言語の家をつくり、その代理をつくってきました。女はその家を建てるのに役立ってはいますが、そのような家をもってはいないのです。女性に有性化した語法がないために、女たちはいわゆる中性の言語を練り上げるために利用されてきたのです。こうして、女性的なものは象徴の内部での媒介として役立ちながら、象徴の分配、交換、製造に近づくことがないのでしょう。とくに母親と娘との関係で象徴のなかに隠されてしまうのでしょう。

 私の言葉が意味をもつのは、私の言葉が私の知覚されたものから出発して他者に触れるということであり、また私の言葉が私(男/女)に触れてから他者に触れつつ、その知覚の可能な住まいを組織するということです。私の言葉を他者が聞きとれば、他者は私が住まうことを私に与え、与え返します。
 他者の輪郭を敬いながら達成するこの身ぶりは、「愛撫の触覚」とよばれることがあります。この触覚は二人の他者を結びつけたり、二人の他者の結び目をほどいたりします。口唇性が存在する以前に、すでに触覚が存在するのです。
 愛撫のはかなさは、いまここで他者の皮膚へ接近することとは別の未来へと通じています。他者の皮膚に固執することは、愛される女を誘惑の瞬間をこえて動物性へと送りかえす危険があります。逆に、触覚による究極の共感においては、感じるものと感じられるものは、足が地につかないほどのめまいに達し、まだ固有の形をもたないものに沈みこみ、誕生がまだそのアイデンティティのなかに封印されていない初歩的な流出の最も奥深いところへ回帰するに至ります。そこではどんな主体もその支配力と論理の道筋を失います。
 こうして愛される女の、そして愛する男の、新たな誕生、新しい曙がついにやって来ます。まだ彫刻されていなかった顔の開花です。愛される女は深海のなかを流れ、夜よりももっと根源的な夜のなかに沈み、あるいは一枚の割れた鏡の断片として飛び散った自己をふたたび見いだすのです。薔薇の花びらの肉、これは再生した粘液状のものによって感じられるのです。愛される女のもろさと弱さとは、愛する男が権力のない愛される者として、そのもろさと弱さにおいて自己を愛するものにほかなりません。
 愛の行為とは、外に向けての爆発でも内側への破裂でもなく、止まることです。自己とともに、また他者とともにとどまること――愛の行為を成り行きにまかせながら。他者を生成の力のなかに存在させ、とどまらせておくこと、控えめでしかも執拗な女でありつづけながら他者を放っておくこと、それこそ、愛する女が応じなければならない賭けなのです。

 イリガライの思想については、フェミニストのあいだではまだ評価が定まらないようだ。イリガライ自身が「私はフェミニストではない」と言ったことがあるせいでもあるらしい。しかし、イリガライはまさにラディカルなフェミニストである。
 フランスのフェミニズムは80年代に向かうにしたがって、ボーヴォワールの後継者を自任するクリスティーヌ・デルフィらの社会学系のグループと、アントワネット・フークらの精神分析系のグループが大きな潮流をつくった。それに対して、イリガライやエレーヌ・シクスーやジュリア・クリステヴァ(第1028夜参照)がいた。アメリカではこの3人をフレンチ・フェミニズムのビッグスリーとよんでいる。
 イリガライ自身はそうしたグループ動向やフェミニズムのなかでの位置にこだわっていない。『海の恋人、フリードリッヒ・ニーチェについて』『そして一方の女性は他方の女性がいなければ動かない』『基本的情念』『空気の忘却、マルティン・ハイデガーの場合』『話すことは決して中性ではない』などを著したあと、チェルノブイリの原発事故のころからはエコロジーにも関心を示し、最近はカトリックの女性団体との女神をめぐる共同研究に入っているらしい。

附記¶上にも書いたように、リュス・イリガライは1939年生まれのベルギー出身のフランス国籍者。邦訳は『ひとつではない女の性』(勁草書房)、『基本的情念』(日本エディタースクール出版部)、『差異の文化のために』(法政大学出版局)、さらに『検鏡』(藤原書店)などがある。フェミニズムの流れを解説した本はいくらもあるが、紹介した江原・金井の『フェミニズムの名著50』(平凡社)、『フェミニズム』(新曜社)、辞典としてはリサ・タトル『フェミニズム事典』(明石書店)がいいとおもう。上野千鶴子『差異の政治学』(岩波書店)も流れが追える。ナワール・エル=サァダーウィーの『イヴの隠れた顔』(未来社)は原題が『アラブ女性の素顔』。