スタン・デイビス&クリストファー・マイヤー
インターネット資本論
富士通経営研修所 2001
ISBN:4894590573
Stan Davis & Christopher Meyer
Future Wealth 2000
[訳]キャップジェミニ・アーンスト&ヤング(細谷弘・本馬昌代)

 昨日、ライブドアの上場が取り消された。たいして注意深く観察していたわけではないが、ライブドア事件の発端から終局にまつわるコメントにはろくなものがない。
 事件が犯罪であったかどうかということは、どこに境界線があったのか、あるいはどこに新たな境界線を引くのかというだけである。それに対して、あの事件の底辺にある株主主権をめぐる議論やマネーゲーム狂想曲を裁断するには、日本の社会も市場も、企業も銀行もマスメディアも知識人も、機関投資家もデイトレーダーも問われる。ところが、すべてはうやむやなのである。すなわち高度に熟しつつある後期資本主義の一環にくみこまれた日本では、その熟した社会の正体はまったくわからないままなのだ。
 そこで今夜は、こうした事態の現実に代わって、一冊の本が主張しているところをどう見るのか、そんな趣向で本書を提示してみることにした。はたして以下に紹介することは危険がいっぱいな話なのか。

 本書はいっとき話題になった『ブラーの時代』の続編にあたる。ブラー(blur)とは曖昧で焦点がさだまらない状態のことをいう。社会における変化があまりに速く、従来の概念が実態をあらわすのに不適切になり、かつては概念上にも区分があったのに、その区分さえ曖昧になってきたことをあらわす。ようするに境界侵犯や境界溶融の状態のことをいう。
 最初に本書の主張を簡潔に書いておく。こう、言っている。ブラー社会の拡張は、「スピードの向上」と「コネクションの拡大」と「資産の無形化」を招く。それによって「コネクトされた経済」(conected economy)が資本主義を市場の大半を覆って、実体経済による貧富とはまったく異なる経済社会をつくりだす。これが本書が確信しきっている結論だ。
 すでにこの20年間でCPUのスピードは45倍に、モデムのスピードは250倍になった。ITの急激な拡張は通信回線を安価にし、ブロードバンドを普及させ、高品質の音声や画像のコミュニケーションを可能にした。これで何がおこるかというと、多くの製品にソフトとサービスが組みこまれて、製品とサービスの区別がなくなっていく。また、買い手が情報や知識を売り手に提供することになり、買い手と売り手の区別もブラーになっていく。そこには価値のやりとりだけが浮上する。
 さらに競合会社と顧客の区別もブラーになっていく。一方で競合している相手は、他方では客なのである。こうして組織と市場の区別さえ曖昧になっていく。すべてが境界をもたないリアル=ヴァーチャルのウェブになる。
 これらのことが何を主張しているか、わかるだろうか。これって、実体経済は金融経済に移行する、個人も企業も社会も、金を儲けることが物を作ることに匹敵する、そのほうが富がふえると言っているわけなのだ。

 いったい後期資本主義や情報資本主義がこんなありていなコネクテッド・エコノミーを現実の日々にすることを期待していたのかとおもいたくなるが、「インターネットはすべてを変える」と言い切っている本書の著者は、そういう日々がやってくると訴えている。
 本書の著者というのは、キャップジェミニ・アーンスト&ヤングというIT戦略を専門とするフランスの上場企業の研究所長と特別研究員で、それでわかるようにこの企業がもっている戦略の徹底的正当化が本書の内容になっている。著者の一人のマイヤーはイノベーションセンター長であって、複雑系理論をビジネスに適用するためのベンチャー企業バイオスGP社の代表でもある。
 コネクテッド・エコノミーの前提は富をふやすこと、その一点にかかっている。ただし実体経済では富は財とサービスをつくりだすことで獲得されるが、本書が提案する無形資産のための金融経済では、富は投資によってのみふえる。企業においては、実体経済で財とサービスをつくりだし、金融経済でキャッシュ・フローをつくりだすということになる。ようするに金融資産をふやしなさい、マネーゲームをやりなさいと言っている。本書はそのことを企業だけでなく、個人においても社会においても促進することを強力に訴える。
 なぜそんなことを強力に訴えるかというと、まったく困ったことに、本書が確信しきっている信条は次の3つの予測原則なのである。

①「スピードの向上」→変化は安定よりも健全である。
②「コネクションの拡大」→オープンシステムが繁栄し、クローズトシステムは衰退する。
③「無形の資産」→ヴァーチャルであるほうが実体に勝る。

 今日、自由資本主義市場で販売されている物品はなんであれ競売可能になっている。航空券、コレクション、通信回線、工業用部品、スカッドミサイル、専門家のサービス。何でも買える。この競売を阻むのは、倫理問題だけである。たとえば健康な腎臓が eBay で競売にかけられたときは、最高570万ドルまでの値がついたのだが、中止された。倫理といったって、売り手がネットに出すことは問われていない。値がついてからやっと問題が表面化する。

eBay

オンラインのインターネット競売サイトeBay

 明日以降に売買できるものを、今日のうちに取引することもできる。いわゆる「先物契約」だ。先物市場は、将来の受け渡しがリスクをへらすための重要な要因になるため実体経済のなかから登場したしくみだが、たとえばレッド・ロブスター社や吉野屋が今後12ヶ月にわたってロブスターや牛肉を一定量一定価格で購入できるとなれば、料理の価格も定額を維持できる。
 こうした事前契約市場は、ついでゴム・石油・キャビアというような、標準化したオプション契約で取引を定義できるものなら何であれ、その価格の変動に賭けるチャンスを投資家に見せているということになる。このような投資が容易になれば、たいていの物品の将来の価格が、株式や債券と同様に"証券化"されるのだ。すなわち、いったんそのリスクが証券化されれば、そのリスクを取引する新たな手法が金融市場に広まっていくはずなのである。
 かつてのように先物市場がないときは、リスクヘッジをするには実際にその物品を入手しておかなければならなかった。それが変わってきた。特定目的の金融商品を通じて、どのようなリスクヘッジもできるようになった。ということは誰だって金融投資ができるようになったということなのだ。
 というような見方が、本書の主張を裏付けている状況変化のひとつになっている。それでどうなるかといえば、富の創造は金融資産に移行していくだろうということ、勤労所得より不労所得の時代になっていくだろうということ、富の主役は機関から個人になりつつあるだろうということである。

 コネクテッド・エコノミーが大躍進するだろうという予測には、さらに社会資本が老朽化しつつあること、それに代わって人的資本が急速にその価値を拡張しつつあることにももとづいている。
 きっとおもしろいだろうから人的資本の話をしておくが、いまインターネット上には約1万店のオンライン履歴書交換所ができている。5万件の企業求人情報が交換され、500万以上の個人の履歴書が登録されている。それだけではなく人的資本の証券化も進んでいる。
 デビッド・ボウイの債券をつくったのはプルマン・グループとニューヨーク投資銀行である。期間15年で5500万ドルのボウイ債だ。ムーディーズがただちに「シングルA」の格付けをし、その直後、ボウイ債のすべてをプルデンシャル保険会社が一括して買い取った。ボウイ債を支えているのはボウイが作曲しレコーディングした300曲から入る将来の印税と将来のコンサートツアー収入である。逆にボウイはその15年間のなかでの25枚のアルバム権を取引化した。ボウイはリスクを取引したのだ。これであっというまにボウイ債は完売した。 
 似たようなことが続々おこった。エドワード&ブライアン・ホランド兄弟とレイモン・ドジェが仕切っている頭脳集団はシュープリームズをの曲をはじめとする曲を債券にしていった。ジェームズ・ブラウンも自作曲750曲を担保にした債券を売って1億ドルを手にした。イタリアのセリエAのラツィオ・サッカークラブは将来の入場券を担保に2500万ドルの資金を調達したし、スペインのレアル・マドリードも似たような債券を出した。

 人的資本の債券や株式の取引はまだ頻繁にはおこっていない。しかし本書は、才能を複数集めて債券化したり株式化したりすることを、しきりに勧める。
 ボウイやタイガー・ウッズなら一人でも人的資本の取引を発生させることは容易だろうが、投資家からすればそれほどビッグでない才能に賭ける気はしない。また、いくらハイリスク・ハイリターンだからといって、安定しないビッグスターの債券は取引しにくい。実際にもNBAのバスケット・プレイヤーのデニス・ロドマンの株価(RODM)はロドマンがチームを移りすぎて低落した。
 では、たとえば、2006年のハーバード・ビジネススクールを卒業するMBA全員の将来、あるいはそのトップ10人をまとめて市場に出したらどうか。複数の才能をパッケージしたらどうか。可能性がありそうなのだ。すでにグラフィックデザイナー集団や、外科医のグループ、かなり多人数の弁護士グループが自身の集団を市場に出した。
 そうなれば、いままではあまり活動していなかった大学院のクラス会、マッキンゼーのOB会、X線技術者の壮年組、少年野球のコーチができそうな元選手たちなどが、一斉に供給グループのエージェンシーに群がることになるだろう。
 本書はこうした人的資本や知的資本を前提にした「才能を担保にした金融商品」を扱うナスダックのような市場が2010年くらいには登場するだろうと予告している。きっとそのためのミューチュアル・ファンドもできるだろうと書く。それに応じて、ブランドや助言やデザインを個人の金持ちに譲るということもおこるはずだと予測する。
 こういうとんでもない将来をおもしろがるのは、ベビーブーム以前の世代ではない。団塊の世代も証券化のしくみに関心をもつだろうが、それをマネーゲームにする勇気など持ち合わせていない。これらの出来事に取り組むのは1965年から1980年までに生まれたX世代であるはずだ。1980年以降のY世代はどうか。かれらは前世代の失敗を捨て成功のケースだけを選択することだろう。ようするにホリエモンを捨てるチャンスに賭けるのである。

 おそらく、今日の日本の企業と投資家はリスク管理をどうするかということを最大の課題にしているにちがいない。
 ふつう、人生や実体経済やゲームなどでのリスク管理は、次の3つで決められている。①リスクにまつわる基本的な確率があることをどう見るか。ルーレットには38のスロットがあるが、当たったときの報酬は最大36倍である。胴元が勝つに決まっている。②情勢の変化に関する情報をどう読むか。どこかのビーチハウスを買う前に台風の直撃を計算しておくかということだ。③リスクに関する選好度をどう見るか。その投資家は株式市場の値下がりに耐えられずに資金を貯金にまわすか、ある冒険家はリスクに魅了されてエベレストで死んでもいいと思うかだ。
 むろん、金融資産の減衰にまつわるリスクは、以上の組み合わせだけでは決まらない。そこで投資によってリスクを回避する。またミューチュアル・ファンドよりはるかに早く値上がりするとおぼしい株式や不動産を購入する。つまり無形の資産のためのリスクヘッジは、購買力を増すためにリスクを受け入れるということなのだ。
 本書は、保険(確実なものに料金を払うこと)によって下方の金融リスク(値下がり)を限定し、安全に投資(ほぼ確実な少額の報酬を得ること)によって上方のリスク(値上がり)を限定していることを奨励する。そして、上方リスクを制限すればするほど、あなたはチャンスをそのつど逃していますと脅かす。

 本書の後半は企業向けのアドバイスになっているが、そろそろもういいだろう。ようするにSBU(戦略的事業部門)に対して、すみやかにSRU(戦略的リスク部門)を確立しなさいと言っている。
 たとえば「雨が降ればディズニー映画の入場者がふえるが、ディズニーランドの客は落ちる」という例では、ディズニーは天気をヘッジして、雨が降れば保険金が払われる保険を検討すればいいのである。このときSRUはさまざまな調査をしたうえで、このリスク全体をこうした商品に特定したグループに売ったってかまわない。むろん自社で負担したってかまわない。どちらにせよ、雨が降るかどうかをリスク戦略にしない手はないばすなのである。つまりはSRUを「リスクのためのプレイヤー」にすることを、本書は勧めるわけなのだ。
 リスク分離については、たとえばトラッキングストックがある。業績連動株を金融市場に出してしまう方法だ。ちなみに本書はストック・オプションについては功罪両面があることを強調して、いずれさまざまな障害を企業と従業員にもたらすだろうと警告をしている。
 まあ、こんなところだ。もっと詳しいことも書いてあるが、要旨は変わらない。しかもこれらの無形資産時代のコネクテッド・エコノミーの事故をふせぐには、セーフティ・ネットの強化以外に策はないというのが、結論なのだ。
 どうだったろうか。本書はべつだんLBO(レバレッジド・バイアウト)をして企業乗っ取りをしなさいとは一言も書いてはいない。もっと健全にもっと合理的に富をふやしなさいと書いてある。しかしこれはどう見ても、ホリエモン型の富国論の支援になっていた。日本、どうする?

附記¶同じ著者による前著に『ブラーの時代』(ピアソン)がある。本書の周辺に関することは省略するが、日本語版には入江仁之の序文がついている。この人もキャップジェミニ・アーンスト&ヤング社のバイスプレジデントの立場にある。著訳書に『リエンジニアリング実践ノウハウ集』(JMAM)、『システム監査論』(DPC)、『サプライチェーン理論と戦略』(ダイヤモンド社)がある。

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