才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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生命とは何か

エルヴィン・シュレディンガー

岩波新書 1951・1975

Erwin Schrodinger
What is life?
[訳]岡小天・鎮目恭夫

 この本はぼくの生命観に依代を立ててもらったような一冊だ。26歳くらいのときだったろうか。
 第6章「秩序・無秩序・エントロピー」にさしかかって、その依代の根っこを見た。思いがけない根っこだったのでぶるぶるっときたが、根っこが示すメッセージの鋭さのようなものが稲妻のごとくに走った。全体が七一節で構成されている中の五七節だから、ほぼ結論部にさしかかったところにあたるのだが、そこに「生物は負エントロピーを食べて生きている」とあったのだ。
 そうか、そうなのか。生物は負のエントロピー(ネゲントロピー)を食べているのか。そうだ、これだよ、こうじゃなくちゃならない。愕然とした。もしポール・ヴァレリーがこれを読めた時代に青春期をおくっていたなら、この一行の稲妻こそが精神の一撃になったろうとおもわれる。

 宇宙の全体や物質の基本的な運動は、大局的には「エントロピーの増大」に向かっている。このことを宣告しているのは熱力学第2法則というものだ。どんな物質も放っておけば(閉鎖系のシステムならば)無秩序な状態に向かい、周囲の環境と区別がつかなくなっていく。
 締め切った部屋で熱い紅茶を放っておけばやがて紅茶は器と同じ温度になり、器もろとも室温と同じになっていく。熱力学ではこれを熱死(熱的死)と言っている。熱死とは無秩序の頂点のことをいう。宇宙も紅茶も、ひたすらこの熱死に向かっている。
 ところが地球上の生命がせっせと活動をしているときは(開放系なので)、これとは逆の現象がおこっているように見える。生命は熱力学の原理に抵抗するかのように情報生命体としての秩序をつくり、これを維持させたり代謝させたりしているのだから、無秩序すなわちエントロピーの増大を拒否しているようなのだ。
 むろん生物の個体もやがては死ぬのだから、大きくいえば熱死を迎えることになる。しかし、そこにいたるまでが物理学の法則に沿ってはいない。生命は個体としての生物活動をしているあいだ、ずっとエントロピー(無秩序さの度合)をへらし、なんとか秩序を維持しようとしているようなのである。

 個体ではなく、生命系としてみると、情報生命たちは38億年ほど前からずっと宇宙エントロピーに逆らってきた。光合成を発明したことが、この逆らいを成立させた最初で最大の出来事だったろう。そこからは細胞膜(生体膜)ができ、ミトコンドリアが取りこまれ、多細胞生物が登場し、情報を複製する遺伝子が縦横無尽にはたらいて、ついには巨大な進化の傘を広げて、われわれをつくった。
 これをいいかえれば、生命はトータルな系として「負のエントロピー」をずうっと食べてきたということになる。なんらかのしくみとなんらかの理由によって無秩序(エントロピーの増大)を排除し、秩序を形成しているのである。そのために巧みにエントロピーを捨ててきた。そればかりか、たいていの生物は独得の生殖活動をして次の世代にその大半の仕組みを継続させている。個体は次々に熱死を迎えても、それを種や属というくくりでみると、多くの種や属は時空間をまたいでエントロピー増大と闘っているようになったのだ。そうだとすればやはり、生命は「負のエントロピー」を食べているとみなさざるをえない。
 この指摘は、ずばり生物という情報生命システムについての本質を突いていた。そしてエルヴィン・シュレーディンガーという才能が驚くべき洞察力の持ち主であることを告げていた。
 
 シュレーディンガーはひとつながりの波動方程式をもって、一躍、量子力学の寵児となった。そこから生まれた波動力学はかつて誰も思いつかないものだったし、その波動函数が扱うことはハイゼンベルクのマトリックス力学と相並んで、極小の世界を解読するための驚異的な力を発揮した。
 だからふつうにシュレーディンガーを紹介するなら、ド・ブロイの物質波仮説に続く量子力学の1920年代半ばからの高揚とともに語るのが筋というものだろうが、また、あまりにも有名な「シュレーディンガーの猫」を引き合いに出してその天才的発想を紹介するべきなのだろうけれど、ここではその理論物理屋シュレーディンガーにとどまらないシュレーディンガーを案内したい。情報生命系の謎に挑戦したシュレーディンガーのほうだ。
 もっとも「シュレーディンガーの猫」については一言だけ書いておく。これは1935年にドイツの科学雑誌に量子論がかかえる重大な問題を思考実験のモデルとして発表したもので、あっというまに話題になった。
 鉄の箱の中に放射性物質と放射線の検出装置、それと連動した毒ガス発生器を入れておく。放射性物質が原子核崩壊をおこすと放射線を出し、それを検出装置がキャッチすると信号がおくられて毒ガスが出る。そういう箱を用意しておいて、そこに生きた猫を入れ、蓋を閉じて中が見えないようにする。1時間後、さて、猫が生きているか死んでいるかを、外から決めることができるだろうかという思考実験である。
 放射性物質はいつ崩壊するかはわからない。1時間で原子核崩壊がおこる確率が50パーセントだとすると、猫は生きているか死んでいるかではなくて、生と死の状態を半分ずつ重ね合わせたものになっているとしか考えられないのではないか。量子世界には、そういう「シュレーディンガーの猫」がいるのではないか。こういう話である。
 この話で最も重要なことは、観測者が鉄の箱を開けて見たとたんに、猫の生死は決まるということにある。見れば生死の決まる猫、見ないときは生死まだらの猫がいる。シュレーディンガーはこの例によって、量子力学の「観測の理論」の重要性を指摘したのだった。
 
 本書はシュレーディンガーの連続講演にもとづいて執筆された。講演の主旨は「生きている生物体の空間的境界の内部でおこる時間空間的な現象は、物理学と化学によってどのように説明できるのか」というものだ。
 それまで生命活動の秘密に物理学が言及できたことは、ただの1度もなかった。生物が物質で構成されていることはわかっているにもかかわらず(構成要素も物質だし、遺伝子も物質であるにもかかわらず)、その物質のふるまいを記述すべき物理学は、生命の秘密にはまったく言及できないままだった。シュレーディンガーはその謎に挑もうとした。考え抜いたすえに設定した突破口が冴えていた。どこが冴えていたのか。
 物理化学というものは一般に周期性結晶を扱ってきた。それについては物理化学の右に出るものはない。シュレーディンガーはこの視点を転倒させて、「非周期性結晶」を扱うつもりで説明を試みれば、物理化学が生命の活動の本質に到達する可能性をもつのではないかと考えたのである。
 本書はこの非周期性結晶を前において、このあと遺伝子のふるまいやそれを構成する原子のふるまいの説明に入っていくのだが、その後、DNAの二重螺旋の謎が解かれ、分子生物学がいやがうえにも発達したのちの見解からみれば、この説明はいまでは物足りない。しかし、それにもかかわらずシュレーディンガーの着想は、いまもってドキッとする予見に充ちていた。
 たとえば「暗号文の写本」はコピー(DNA転写)されるだけではなくてコピーミス(突然変異)されるにちがいないという見方、また「型」を継承するために生物活動が何をしようとしているかという推理をめぐる見方などは、いまならこれを「情報」とか「ゲノム」と言い直すことによって、いくらでも真相に近い説明に変えられるものばかりなのである。なんとも冴えていた。

 シュレーディンガーがもっと独自の領域に踏みこんでいくのは第33節になってからだ。化学結合に関するハイトラー=ロンドンの仮説を紹介した直後、量子力学こそが遺伝と突然変異のしくみの要訣を支えているはずだと言い出す。
 いまではよく知られているように、量子力学の世界では粒子のエネルギーは連続していない。とびとびの値のエネルギー(エネルギー準位)をもつ。これを「量子飛躍」とよんでいる。
 振子をゆらすと、最初は連続的な動きをくりかえし、やがて空気摩擦やいろいろの条件があって遅くなり、ついには止まってしまう。ところが原子のレベル以下の量子の世界では、振子はもともと連続的な周期運動すらしない。とびとびの量子飛躍の活動しかしない。ふつうの振子は円運動や楕円運動にもなるが、量子の運動の形はとびとびの形しかとろうとはしない。すべては非周期的なのだ。これを量子力学用語では「量子化がおこっている」という。
 シュレーディンガーはこの奇妙なふるまいをもつ量子レベルから、熱力学的に見れば奇妙な秩序のふるまいをもつ生命活動を見ようというのである。それには量子がつくりだす原子のふるまいがあきらかになり、その原子が寄り集まって安定を求めた分子の状態を説明する必要がある。シュレーディンガーはその説明を試みつつ、これらに一貫する「非周期性」と「量子飛躍性」を暗示的に重ね、それを実行させている最大の仕掛けに「負のエントロピー」の関与があることを提示しようとした。
 かくして途中をとばしていえば、こう締めくくったのだ。以下、直接の引用ではなくて、ぼくがシュレーディンガー風の口調にあわせて要約してみた。口調は講演録からまねた。内容はまったく変えていない。
 
 物質というものは自分で自分のふるまいを御していて、周囲のすべての条件と組み合わせて律しているものです。そこには、極小の量子力学から極大のニュートン力学やアインシュタインの相対性理論までを満足させる原理があてはまります。そのひとつの大きな原理は、物質は平衡状態では活動を安定させるということです。
 ところが生物体というものは、物質とは違って、自分の力で動けなくなるような平衡状態になることを、あえて免れるしくみをもっているのです。生物はその内側では物質の新陳代謝をくりかえしているのですが、それにもかかわらず、生物総体としては平衡状態を免れているのです。まことに驚くべきことです。
 なぜそんなことができるのか、生物体が食べているものに秘密があるとしか思われないのですが、その食べているものとは、熱的平衡を避けるためのもの、すなわちエントロピーの増大を妨げるものにほかなりません。
 そうなのです、生物は周囲の環境から「負のエントロピー」をうまいぐあいにとりいれているのです。いいかえれば、生物は生きるために必要なエントロピーをうまいぐあいに外に捨てるしくみをもっているのです。このしくみがどこから発現してきたかということは、いまはその時点を突きとめられないものの、その起源が生命分子をつくりあげるときの量子活動と関係していることはあきらかです。
 生命は量子から生まれ、それが情報高分子となって複写活動や代謝活動をするようになるうちに、「負のエントロピー」をとりこむようにしたのですね……。
 
 このような仮説の説明の仕方のうちの、熱力学的な解釈と遺伝情報にまつわる生命分子の秩序生成についての解釈の大半は、いまではイリヤ・プリゴジンやヘルマン・ハーケンやマンフレート・アイゲンをはじめとする熱力学者や生物物理学者たちによって、また多くの分子生物学者たちによってかなり書き改められ、新たな説得力をもって説明がつくようになっている。
 そうではあるのだが、それでもなお、ぼくがまだ十分な追跡ができていないだけかもしれないのだけれど、そこに量子力学が介在し、そのことが生命組織に「自己」と「秩序」を形成させているという仮説については、つまりは量子生命論とでもいうべき仮説については、いまだシュレーディンガーから3歩ほども先に進めないでいるのである。
 なぜシュレーディンガーはここまで先験的な冒険をすることができたのだろうか。天才的なひらめきに富んでいたといえば、むろんそうではあろうけれど、どうもそこには何かの「哲学」があったようにおもわれる。
 その「哲学」が何であるかはぼくにもずっと見当のつかないものだったのだが、『わが世界観』(共立出版→ちくま学芸文庫)や『精神と物質』(工作舎)を読むにつれ、また、ウォルター・ムーアの大著『シュレーディンガー』(培風館)をはじめとする評伝や推察や議論を読むにつれ、なんとなくひとつの見当がついてきた。それはあとから考えてみると、すでに本書『生命とは何か』の最後に暗示されていたことだった。
 
 シュレーディンガーはウィーンに生まれ育った。父親はウィーン工科大学で化学を学んだ実業家だった。少年シュレーディンガーは学校よりも自宅で遊ぶことが好きだったようだ。けれども1906年にウィーン大学に入ってからは、見ちがえるほどに学習した。本をむしゃぶりつくように読んだ。熱力学のボルツマンの影響を受けた。
 大学では最初は連続体力学の固有値問題にとりくんだ。ボルツマンが自殺したため、ハーゼノールが指導教官になった。第一次世界大戦が始まると、4年にわたって砲兵隊の士官として各地の戦地に従軍した。ハーゼノールがこのとき戦死した。ボルツマンとハーゼノールの唐突な死は、シュレーディンガーに何かを突き立てた。
 ついで1920年にイェーナの大学で実験物理学の助手をし、いくつかの大学での研究の日々をへて、チューリッヒ大学でラウエの後任として数理物理学の教授を6年務めた。そこにはヘルマン・ワイルがいた(ぼくが最も好きな数理的哲人だ)。24年に大きな飛躍がやってきた。ド・ブロイが「物質波」という概念を提唱したのだ。ハミルトン︲ヤコビ方程式にとびこむと、力学と光学には何らかのアナロジカルな対応関係があることに気がついた。
 その後の波動力学の提唱にいたるシュレーディンガーや、ポール・ディラックと一緒にノーベル賞をとるにおよんだシュレーディンガーについては省略したい。

 今夜、強調しておきたいのは、3つのことである。ひとつはシュレーディンガーがオーストリアを祖国としながら、36年にわたって祖国に戻れなかったこと、ひとつは一貫して生命の秘密に異常な関心をもちつづけたこと、ひとつはインド哲学に大きな影響をうけていたということである。最初の2つは本書やべつの評伝を読んでもらうこととして、インド哲学の一隅に格別の興味をもったことについてふれておきたい。
 シュレーディンガーがインド哲学、とりわけヴェーダンタ哲学(ウパニシャッド)に興味をもったのは、若き日々に読み耽ったショーペンハウアーのせいだった。ニーチェの思索にも巨大な影を落としたショーペンハウアーについてここで解説するのはよしておくが、ショーペンハウアーはヨーロッパ哲学史ではめずらしくもインド哲学や仏教哲学の理解者であった。そんなきっかけで東洋哲学や仏教哲学にふれたシュレーディンガーは、なかでもヴェーダンタ哲学が提示した「梵我一如」の思想に感動する。宇宙原理ブラフマンとしての「梵」と個我原理アートマンとしての「我」とが一如になる、互いに関連しあって連動しているという思想である。
 どのように感動したかということは、本書『生命とは何か』のエピローグに語られている。シュレーディンガーは物理学者としてつねに決定論と闘うために、インド哲学に学んでいたのである。
 
 大半の物理学の原則には決定論(determinism)が貫いている。ほとんどの出来事はその出来事に先行する出来事で決定しているという見方だ。しかしハイゼンベルクの不確定性原理が高らかに宣言したように、またド・ブロイやシュレーディンガー自身が物質の粒子性と波動性の両立を謳ったように、物質のふるまいには決定論的ではないところもある。このとき量子論の一部では、この決定論的ではないところを確率的に解釈して乗り切った。これが「確率振幅」とか「統計的確率像」とよばれている考え方である。
 けれどもシュレーディンガーは、この解釈の全面適用には不満だったのだ。なぜなら物質も、その物質でできている人間も、どう見ても確率的なものとはいえない何かの動向を秘めている。量子のふるまいの根幹にある量子飛躍のようなものを秘めている。とくに生物の大半の活動は決定論と確率論の両方をまぜこぜに生かしているようにもおもわれる。量子レベルの不確定性だけにもとづいているとはおもえない。
 シュレーディンガーはここで悩んだのである。自分の直観と生命活動のルールと物理学の最も好ましい部分とが重ならないからだ。しかしやがてハッとする。
 たとえばX線が照射されたショウジョウバエに突然変異がおこる理由を考えた。また減数分裂や特異な生物進化の突起性について考えてみた。ひょっとするとこのような現象こそが生命活動の本来にあって、そこから安定した「種の進化」が出てきたのではないかと考えたのだ。そうだとすれば、生物体の原初には最初から不安定性や不確実なものが動いていたのではないか。

 ここからのシュレーディンガーは以前にもまして独創的になっていった。非決定論的な動向を「私」という一個の生命体にあてはめてみたのだ。そして、「私」が大きくは決定論的な自然法則に従っていることと、にもかかわらず「私」がその自然法則の支配者にも操作者にもなっていないこととのあいだに、何がおこっているかを考えた。
 このとき浮上してきたのがインド哲学における「梵我一如」の思想だった。大なるブラフマン(梵)と小なるアートマン(我)が一如に相応しあっているという思想だ。ピンときた。ミクロコスモスとマクロコスモスはどこかで相応関係をもっているということである。これは「私」と「量子レベル」を一緒に語ろうとすることだったろう。いや、もっと重要な思想も引き出した。それは多くのインド哲学理論では、「私」は複数か、もしくは複合的であるということだ。
 今日ならば、この「複数の私」や「複合的な私」を、多様性と複雑性をもつ情報的自己像というふうにとらえることができるであろう。ぼくならばまさに複合的で編集的な自己像として「たくさんの私」を持ち出したい。シュレーディンガーは、そのことを量子力学とインド哲学という両極をめぐる思索から導き出した。まことにもって驚くべき推察だった。
 シュレーディンガーの思想は、その科学思想も生命思想も、また哲学思想も、いまなお読み切られてはいない。かつて湯川秀樹は『わが世界観』を愛読して、せめてシュレーディンガーをあと五歩進めようとして、かの「素領域仮説」をインド哲学から老荘哲学のほうに振ったものだった。科学界は冷淡だった。老子や荘子を素粒子にもちこんでもらっては困るのだ。
 だが、はたしてそうだろうか。シュレーディンガーと湯川の東洋思想は現代科学になっていいはずである。けれどもいま、この2人の量子飛躍に満ちた振子をうけつぐ者は、いないようである。

附記¶シュレディンガーの翻訳はまだ半ばにすら届いていない。主要な論文は『シュレディンガー選集』(共立出版)に入っているが、ウォルター・ムーアの『シュレディンガー』(培風館)などを読むと、ずいぶんたくさんの重要著作がある。それでも、唯一の自伝ともいうべき『わが世界観』(共立出版)や脳の秘密にとりくんだ『精神と物質』(工作舎)はこうした未読のシュレディンガーに対する渇望を癒してくれるのに十分な潤いに満ちている。シュレディンガーの波動力学や「シュレディンガーの猫」を解説した本はゴマンとあるのでここでは割愛するが、最近刊行された2冊のウィットに富んだ本だけを、推薦しておく。アミール・アクゼルの『量子のからみあう宇宙』(早川書房)と竹内薫とSANAMIの共著による『シュレディンガーの哲学する猫』(徳間書店)だ。物理や数学をまったく知らなくても、いや知らないほうが楽しく読める本である。なお、「私」と量子をつなげる試みもニューエイジ・サイエンスの成果を持ち出せばいくつかあるのだが、ここではダナ・ゾハーの『クォンタム・セルフ』(青土社)だけを紹介しておく。