マイケル・ファラデー
ロウソクの科学
角川文庫 1962
ISBN:4043127014
Michael Faraday
The Chemical History of A Candle 1861
[訳]三石巌

 ファラデーの電磁気学が世界にもたらした衝撃と波及効果とその意外な芸術的残響については、『遊学』(中公文庫)に縷々綴っておいたので、ここではくりかえさない。
 ベンゼンの発見、塩素の液化法の発見、復氷の発見、特殊鋼の研究、金のコロイドの発見などの成果についても省略しよう。ロンドン・ナショナルポートレート・ギャラリーに掛かっているファラデーの肖像画がいかに魅惑的かということも、ここでは駄弁を弄さない。
 それよりクリスマス講演だ。ファラデーは1861年のクリスマス休暇に、ロンドン王立研究所が主催した連続6回のクリスマス講演をした。これがすばらしかった。とんでもなく、すばらしかった。すでに晩年になっていたマイケル・ファラデーの名はロンドン中に聞こえていたし、その話術は深い知性と科学への愛情に満ち満ちていた。講演は1日目から満員で、王侯貴族から一般市民までがつめかけた。とくにファラデーがこの年かぎりで王立研究所を退くことを知っていたロンドンっ子は、あたかもこの天才の才能を惜しむかのように、その講演に聞き入ったのである。

 ファラデーは『音の世界』『電気と生活』などとともに『ロウソクの科学』を語った。ファラデーは冒頭、ゆっくりと聴衆を見回すと、「この講演で、どんな話がでてくるかをたのしみにお集まりくださったことの光栄にこたえるために、私は一本のロウソクをとりあげて、皆さんに、その物質としての身の上話をいたしたいと思います」と、語りはじめた。
 話は「ロウソクの身の上話」なのである。聴衆にざわめきのような声が上がった。その静まりを待って、ファラデーは次にこう言った、「この宇宙をまんべんなく支配するもろもろの法則のうちで、ロウソクが見せてくれる現象にかかわりをもたないものは、一つもないといってよいくらいです」。

 ファラデーがこのクリスマス講演をきわめて大切にしていただろうことは、少年時代の日々にすでに刻印されていたようにぼくには思われる。
 少年ファラデーは18世紀末のロンドンの下町の、そのまた場末の鍛冶屋の伜だった。早くから家事を手伝い、小学校に通うころには製本屋の小僧っ子にもなった。極貧の日々ではあったが、ただし、その製本屋の主人が少年ファラデーをおもしろがって、製本途中の書物の片隅にすばやく好奇の目を光らせる少年に、その書物を読ませる時間をくれた。ちょっとフランクリンに似たスタートだ。主人は製本屋の屋根裏部屋に仲間が集まって、自然界や科学界や技術というものがどういうものかを、ときに夜っぴいて語ることさえ、許した。
 ある日、少年ファラデーはお使いの途中の街角で、一枚のポスターを見る。テータムという人物が毎週一回の講演会を自宅で開いているというポスターだ。ファラデーは兄に銀貨をねだって手に握ると、この講演に駆けつけた。科学の夜明けがそこにあった。
 ある日また、少年ファラデーは製本屋を訪れた客の一人から、かのハンフリー・デービーが王立研究所で公開で特別講演をすることを聞きつけた。デービーは当時、イギリス第一の化学者である。またまた銀貨をせびったファラデーはデービーの講演を研究所の講堂の片隅で固唾をのんで聞いた。ファラデーはこれで科学者になることを決めた。

 この二つの講演は、ファラデーの記憶につねにまざまざと残っていたはずだ。
 それは少年ファラデーを科学者ファラデーにしたセピア色の日光写真だった。1861年のクリスマス講演はその日光写真に鮮やかな忘れがたい感動に対する返礼だったにちがいない。けれども、どう想像しても、テータムやデービーよりもファラデーの講演のほうが数百倍すばらしかったろう。ちょっとだけ、内容を紹介する。

 ともかくも『ロウソクの科学』は文句がつけようのないほど、感嘆できる科学書である。科学のギョーカイではこういうものをしばしば“通俗科学書”とか“通俗科学講義”と言うのだが、どうしてどうして、どこが通俗であるものか。少年少女がめざめるべき科学の真髄こそが、ここにある。いや、大人だって科学の翼に乗ってそのまま大空を滑空できる。
 ファラデーはこの講演に何本ものロウソクを持参して、話をはじめている。1本目は木綿糸をぐるぐる巻にして牛脂に浸した「ひたしロウソク」だ。これでロウソクというものがどのようにできているかを説明する。2本目は沈没した軍艦ロイヤル・ジョージ号が引き揚げられたときに見つかったロウソクで、これはたっぷり塩水に犯されたにもかかわらず、火をつけると燃える。スエットが燃えるためであるが、ファラデーはそのスエットの話からステアリン酸を製造してみせたゲイ=リュサックの功績を紹介して、その実験過程を丹念に詳しく案内しながら、化学者というものがいかにロウソクの本質にかかわってきたかを語る。
 3本目のロウソクは、マッコウクジラの油を精製してつくられた「鯨油ロウソク」だ。4本目は黄色の蜜蝋のロウソク、5本目は精製した蜜蝋のロウソクで、このロウソクからはパラフィンという不思議な物質の謎を暗示した。6本目は遠い日本から取り寄せた和ロウソクで、おそらくはハゼの実の脂肪を利用したものだったろう。ファラデーは和ロウソクを手に、東洋の神秘を伝えた。
 このように実物のロウソクを何本も見せながら、ファラデーはしだいに「ロウソクが燃える」とはいったいどういう物理現象なのかということを説明しはじめるのだった。話は化学や物理のことばかりでなく、たとえばロウソクの最も美しい姿は「ロウソクの有用性が完璧をめざしたときに生まれる美しさであります」というふうな美の科学の観点も、そのつど語られる。

 これで見当がついたように、このクリスマス講演はファラデーがさまざまな実物を手にし、ファラデー自身がさまざまな実験を交えた世にも驚くべき手品のような講演だったのである。
 たとえばファラデーの前には皿に盛った食塩がおかれていた。その食塩にファラデーは水差しに入った飽和食塩水を注いでみせる。その食塩水は青く染められているので、青い色は食塩の山をゆっくりのぼっていく。聴衆が目をまるくしているなか、ファラデーはいくつもの解説をする。なぜわれわれは石鹸で手を洗い、タオルで手を拭くのかというようなことを――。
 石鹸で手を洗えば水が手にくっつきやすくなり、タオルで手を拭けば水がタオルにくっつきやすくなる。これが毛管現象によるものであることを示しつつ、実はロウソクが燃えるのもこの原理と同じことだということを、そう、まさに手品師が種のすべてを順々に証かすごとくに、ファラデーは証していくわけなのである。

 『ロウソクの科学』は第6講に及ぶ。第2講ではファラデーはロウソクに紙や紙円筒や綿の芯を近づけ、燃やしてみせる。そればかりか、ごく少量の火薬も燃やす。さらには金網も燃やしてみせる。 第3講はロウソクが燃えたあとにいったい何が残るかという問題を示す。ファラデーは大人にも子供にもわかるように、そしていっそうの不思議が聴衆の胸に募るように、ロウソクの燃焼によって生成されるものが「水」であることを実験してみせるのだ。
 こうして次々にロウソクをネタに化学と物理の本質的なプロセスを実験し解説しながら、第5講の最後では満員の聴衆の前でシャボン玉を二酸化炭素の瓶の上でふわりと浮かせ、第6講では、石炭ガスなどを使ったかなり劇的で過激な机上実験をしたファラデーは、最後の最後になって、ロウソクの燃焼が実は人間の「呼吸」とほぼ同じ現象であることを、魔法のように解いてみせて結ぶのである。

 ぼくが本書を読んだのは、たしか25、6歳のころだったと思うのだが、まさに子供に戻って夢中になった。
 いまではこうした実験の数々はNHKの教育番組でもしょっちゅうお目にかかれるものだろう、そのいずれにもファラデーの躍動するシナリオはなく、またファラデーの本質を衝く機知はない。第一、フロックコートを脱ぎ、帽子を取って、おもむろにロウソクを取り出せる科学者なんて、あれから140年、一人も出なかった。どうしても本書を読んでみられることを薦めたい。

 クリスマス講演『ロウソクの科学』が格別のものである理由が、もうひとつある。それはこの講演の記録者がウィリアム・クルックス卿だったということだ。
 陰極管(真空管)を発明し、陰極線を発見したクルックスがどういう人物であったかということ、どれだけぼくがクルックスに熱烈な関心を注いだかということも、28年前に『遊学』に書いたことなので、ここでは省く。
 そのクルックスが本書に序文を寄せている。この一文がまたすばらしい。「不細工な素焼のかわらけに赤黒い炎をあげて燃える東方の液状瀝青、精巧でもその役目をはたしかねたエトルリア人とのランプ」といった歴史的な「火」の列挙に始まって、この燃焼の真実の奥に輝く生命の火の謎を、いまマイケル・ファラデーが解こうとしている臨場感を述べている。序文の最後は「科学の灯火は燃えああがらなければならない。炎よ、行け」である。こういうナビゲーターによって幕があく科学講義なら、いまからでも聞いてみたい。見てみたい。
 ぼくも講演をときどきしているが、最近は手に何かを持ったり、「さあ、では、これが日本の神々です。ご覧ください」と言って、モニターから映し出される映像に魔法を任せたりしている。いつかはロウソクやら食塩も持ち出したい。

参考¶ところで、二人の講演で化学にめざめた少年ファラデーがその後どのようにして、かの大科学者ファラデーになったかというと、デービーの講演を聞いたのちに手紙を出して科学の道に進みたいことを訴え、王立研究所の助手の席が空くのを待って、22歳でハンフリー・デービーの助手になったのである。
 なお、本書が『ロウソクの科学』という邦題になったのは岩波文庫の矢島祐利の訳による。

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