大野晋・浜西正人
角川類語新辞典
角川書店 1981
ISBN:404011700X

 類語は英語ではシノニム(synonym)という。このシノニムを徹底的に集めたものがシソーラス(thesaurus)である。
 言葉をつかう仕事では、つねに「意味を調べる作業」と「意味を生み出す作業」とが平行して交互に試されている。「意味を調べる作業」には国語辞典や漢和字典が活躍するが、「意味を生み出す作業」にはシソーラスが必要である。日本のシソーラスには歳時記というとんでもなく優秀なものもある。
 学生時代、類語辞典にロクなものしかなかったころ、ぼくは「マルクス類語ノート」というものをつくったものだった。マル・エン選集を読みながら、片っ端から語彙やフレーズをノートに記録していくのだが、最初にノートに数ページおきの適当なアドレスを振り分けておかなければならない。たとえば「生産力」「生産手段」「プロレタリア」「意識」「疎外」というふうに。
 しばらくしてこれを眺めると、そこに「類が類を呼んでいる姿」が見えてくる。ところがよくよく見ると、足りなかったりすることがわかってくる。そこでまた作りなおし、これを繰り返していく。むろん途中で挫折したり、どうも配当がちがっていたり、そもそものアドレスがよくなかったりしたが、ことほどさように、シソーラスづくりは完璧など期そうなどとすると、たいへんなことになる。

 一方、自由にシソーラスをつくるのは、こんなに愉快な作業はない。ここでシソーラスと言っているのは、シソーラス・ダイヤグラムのことである。たとえば「間-身体性」というシソーラス、たとえば「インド自然学」というシソーラス、たとえば「 >鉱物感覚シソーラス」。
 こういうものは、いくらでもつくれる。だいたいは一枚のA4の白紙を前に次々にドローイングしながら作っていく。だいたいのラフなシソーラスができあがると、しばらく措いておいて、何かを読んだり考えたりしているときに、ああ、そうだと思いついたことを加える。あらかたの形が整うと、これに構造や矢印や引出し線を与える。そんな作業だ。数えたことはないけれど、おそらく数百枚のシソーラスを作ってきたのではないかと思う。
 というよりも、ぼくの思考作業や編集作業はほとんどシソーラスづくりから始まっているといってよい。仲間の高橋秀元君はぼくよりもずっと本格的なシソーラスづくりの名人で、放っておくと小さな類語辞典ができるほどである。ただし、シソーラス・ダイヤグラムもあまりに関係線が複雑になりすぎると、そのペーパーが真っ黒になり、しかも十数枚にもおよぶことになって、これは小論文に近くなる。それでもまだ作業をやめないのが高橋君なのだ。

 英語圏のシソーラスには『ロジェのシソーラス』という名うての類語集成がある。これを知らないものは“知のモグリ”だと言われるほどの圧倒的な人気を誇って版を重ねてきたのだが、では、これにあたる類語辞典が日本にあるかというと、一般にはまったく知られていない。
 しかし、ロジェとはだいぶん主旨がちがっているが、ものすごいものがある。それは明治42年に志田義秀と佐伯常麿によって編纂された『日本類語大辞典』(晴光館)である。
 この大辞典は当時も今日も空前絶後の日本語シソーラスというべきものであって、ぼくなどはちょっと古い言葉の類縁を調べたいときは、松岡静雄の傑作『日本古語大辞典』(刀江書院)とともに、いまなお首っ引になる。これを凌ぐものはまだ日本ではまったく出ていない。芳賀矢一の校訂だった。いまは講談社の学術文庫に2冊本として再版された。もっともこちらは旧版を縮小して復刻したものなので、字が小さすぎて、とても引けたものじゃない。
 また、この『日本類語大辞典』は類語間の関係性を追求しているというよりも、一語一語の類語の近似語を収録したものなので(したがって辞書性は濃いのだが)、引き始めると何回となくページをまたいで類縁関係を追わなければならないので、かなり時間がかかる。また、現代語はほとんど載っていない。
 ともかくも日本語の類語辞典はながらくこの大冊だけだったのである。しかもこのようなものがあるにもかかわらず、本格的にはあまり汎用されてこなかった。結局、“類語用例集辞典”といった手紙や文書のための実用実例辞典ふうばかりが出回った。
 そこで長らくこれに代わる引きやすく、類語間の相互連関性に富んだ日本語シソーラスが待望されていたのだが、そこにやっと登場したのが本書であった。編集作業は民間の国語学者の浜西正人さんが積み上げて、これを大野晋さんが「位相」などの新しい視点を加えた。

 ざっと紹介しておこう。
 本書の語彙分類構造は十進分類になっていて、まず大項目が「自然・性状・変動・行動・心情・人物・性向・社会・学芸・物品」に大別される。
 ついでこれが、それぞれ十進ずつの中項目に分かれる。たとえば「自然」は「天文・暦日・気象・地勢・景観・植物・動物・生理・物質・物象」というふうに、また「行動」は「動作・往来・表情・見聞・陳述・寝食・労役・授受・操作・生産」に、「心情」は「感覚・思考・学習・意向・要求・誘導・闘争・栄辱・愛憎・悲喜」というふうに。
 この中項目のマトリックスがまずもってユニークなのである。ここがしっかりしないと全体の意味構造の立体的な相互関連性が崩れるのだが、本辞典は手を抜いてはいない。しかし「自然」の十分類などは易しいが、たとえば「性状」を十の中項目に分けるのはセンスがいる。そこを編者たちは「位置・形状・数量・実質・刺激・時間・状態・価値・類型・程度」という絶妙な分類にした。「刺激」や「程度」が入っているのが、なかなかなのだ。
 さらにユニークなのは次の小項目である。具体的に示したほうがいいだろうから、煩瑣になることをおそれずに例示していくが、たとえば、大「性状」の中「位置」は、「位置・こそあど・点・内外・前後左右・上下・入り口・周辺・遠近・方向」というふうに、同じく大「性状」の中「程度」では、「程度・標準・等級・並み・限度・大変・細大・一層・大体・こんな」というふうに分かれる。この小項目がまことに痒いところに手を届かせている。「こそあど」「周辺」「並み」「大体」「こんな」なんて、日本語シソーラスならではの検索項目だ。

分類

 そこでたとえば、大「性状」の中「位置」の小「周辺」を引いてみると、ずらり147語におよぶ類語が並んで待っている。
 いちいちあげるわけにはいかないが、「まわり・周囲・四方・ぐるり・縁・端・外れ・くんだり・隅・一角・辺・コーナー・間・中・区間・中心・中央・センター・真ん中・中程・都心・半ば・中部・先端・突端・尻っぽ・先・末・末梢・刃先・矛先・柱頭・根元・付け根・基部・土台‥」といった“周辺ファミリー”が、これまたほどよい「辺語類」「隅語類」「中心語類」「端語類」などにグルーピングされて、提示されるのだ。
 これは使える。むろん一語一語には2~3行の解説と用例とがついている。加えて、大野晋さんの提案で「位相」のマークが付加されていて、その言葉がどのような意味の地図の上にあるかを示した。日常語・口語・文章語・隠語・方言・幼児語・科学用語・仏教用語・服飾用語といった位相である。

項目「周辺」

 それでは、ぼくがこれをどう使っているかという例を、簡単にお目にかけておく。
 たとえば「しゃあしゃあとした態度」という言葉が浮かんだとしよう。何かの文章を書いていて、「その学者の態度はしゃあしゃあとしていた」と書いてみて、どうもこれではもうひとつぴったりこないと思ったわけである。
 そこで、本辞典の巻末索引で「しゃあしゃあ」を引く。528ページにあった。開いてみると、そこは小項目「平静」の箇所で、中項目は「身振り」になっている。
 まず「平静」に並んでいる類語を見る。「いけしゃあしゃあ・おめおめ・ぬけぬけ・痛くも痒くもない・へいちゃら・のほほんと・平気の平左・怖めず臆せず・何のその」などと、左右に類語がズラリと並ぶ。とうていこんなにたくさんの類語は浮かばなかった。これはホクホクだ。なるほど「おめおめ」「何のその」か!
 こうして、そうか、あいつの態度は「しゃあしゃあ」というよりも「ぬけぬけ」だったのかと、この想定推理も俄然おもしろくなってくる。
 しかも別のグルーピングには「沈着・平静・冷静・冷厳・悠揚・自若・恬然」といった漢語グループが所狭しと並び、ここからは、ふむふむ「わざとらしい自若」なんてのもいいぞといったヒントが出てくる。さらに前後の小項目では「乱暴」の類語、「茫然」の類語がリストされている。これも見逃せない。
 なぜなら、ぼくが当初に「しゃあしゃあ」という言葉で思ったことは、ひょっとして「茫然」の身振りであったかもしれないからである。そこには「むっと・険しい・憤然・憮然・険阻」などの類語がある。そこでふいに「その学者は険しくもぬけぬけとした顔で」と言ったほうがぴったりくるなと思ったりするわけである。

項目「平静」

 さて、ここであらためて中項目「身振り」がどこに所属していたかを見てみると、大項目は「性向」である。そして「姿態」「身振り」「態度」「対人態度」「性格」というふうに連なっている。
 そこで、ま、待てよなのだ。この「対人態度」が気になる。これを見ないではいられない。引いてみると、案の定、そこには小項目で「人当たり・有縁・親疎・愛想・寛厳・高慢‥」などとある。なになに「高慢」か。なるほど、あいつの「しゃあしゃあ」は高慢なのだ。これを引かないでは、あいつの態度を言葉にしきれない。こうなると、もはや意地である。どうにもあいつにぴったりの懲らしめるような言葉を探したくなっている。
 「高慢」にはいろいろ類語があった。たとえば「傲慢・横柄・尊大・傲岸・驕慢・傲然・不遜・居丈高‥」。みんなあいつにあてはまりそうではあるが、ちょっとここまで言うのは気の毒だ。もう少し見てみると、「高圧的・威圧的・頭ごなし・わがもの顔・ちょこざい・小賢しい‥」などとある。これこれ、「ちょこざい」で「小賢しい」んだよ。

項目「高慢」

 こうしてあらかたの類語連想ゲームがおわる。結局、ぼくは次の類語が気にいって、それを使うことにした。それは「利いた風」という言葉だった。
 そしてこんな文章がうまれていったのである。「その経済学者は横柄というより利いたふうなことばかりを言う奴で、やけに冷静なくせして、他人にいつもちょこざいな印象を与える男だった」というふうに。
 この男、その名を竹中平蔵という実在の人物である。どうですか、『角川類語新辞典』、田原総一郎の番組よりはおもしろい!

参考¶本書は杉浦康平の造本設計になっていて、たいそう知的であるだけでなく、たいへん引きやすい。ここまで充実していなくてよいのなら、広田栄太郎・鈴木棠三『類語辞典』(東京堂出版)が手頃だろう。また本辞典の編纂者である浜西さんによる『逆引き同類語辞典』(東京堂出版)もあるが、これと本辞典を引き合うように使いこなすのは、なかなかの玄人芸がいる。まあ、挑戦してみるとよいだろう。ぼくとしては「逆引き」に慣れるには逆引きギョーカイの王様、『逆引き大辞林』(三省堂)に慣れることのほうをお薦めする。これまた杉浦康平の造本設計だ。
項目「適不適」

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