奥谷喬司編
貝のミラクル
東海大学出版会 1997
ISBN:4486014138

 5、6年前に『貝のミラクル』という本が恵比寿の有隣堂の棚に小さく挟まり、なんだか自信に満ちた背の表情をもっていた
 あまりにうっとりする題名なので入手して、自宅の“生物の棚”に積み(自宅では棚が不足しているので、多くの本が横向きになっている)、何かのおりにつけ手にとっていた。海洋学部を誇る東海大学の出版会の本だった。
 18人のマラコロジストが18の貝のミラクルを磯の貝の帯状分布のように分担執筆している。マラコロジストというのは軟体動物学者のことをいう。その18人が「時差出勤のミラクル」「牡蛎は黙って進化する」「海底を這わない貝」「産卵誘発のミラクル」「地球の割れ目にすむ貝」「鉱物をつくるミラクル」「太陽を食べる貝」などの、どれも見出しを見るだけで放っておけない“おいしい話題”を提供している。

 こういう本はかつて一冊もなかった。そもそも“貝学”には日本には本格的な教科書がないほどで、10年ほど前だったか、『軟体動物学概説』上下巻がサイエンティスト社というところから発刊されたのが、ほとんど唯一のものだった。
 だいたい“貝屋さん”は、私は巻貝、僕は複足類、我輩はイガイ貝というふうに専門が貝ごとにきっちり分化していて、たとえば阿部襄の『貝の科学』(1965牧書店)は、こういう標題ながらパラオや浅虫における巻貝だけが主人公だったし、港宏の『せなかにマイホーム』(1988誠文堂新光社)はなかなかすばらしいメッセージを伝えているのだが、これは陸貝類、すなわちカタツムリだけの話なのだ。
 だからこの本は、本自体がミラクルだった。編著者の奥谷喬司は日本貝類学会の会長で、いまは日本大学の生物資源科学部だが、長らく東京水産大学にいた。『イカはしゃべるし、空も飛ぶ』(講談社)とか、『泳ぐ貝・タコの愛』(晶文社)などの愉快な著書もある。この人が日本のマラコロジーのリーダーとなって、やっと貝まわりの話が賑やかになってきた。

 なぜこんなふうに貝まわりのことが気になるかというと、ぼくはめっぽうな貝好きなのである。そもそもぼくが寿司屋で何を一番よく食べているかというに、イカと貝なのだ。
 最初はたいてい中トロだが(その寿司屋のレベルを測るため)、次はその日のネタのホタテか赤貝か鳥貝か小柱を、二つ、三つ続けて食べる。酒は呑まないので、すべてが握り。それから“やおらのイカ”で、これがおいしいと、もうひとつ頼む。ここでいったんウニ・イクラ・海苔巻系に移るが、また必ずやアワビや貝柱などの貝に戻って、最後にアナゴかで上がり。
 この貝好きは汁ものにも及ぶ。味噌汁やおすましにシジミかアサリかハマグリが入っていると、その日はいつまでも機嫌がいい。シジミの味噌汁など毎日でも飽きないし、夜中にはサッポロ一番の塩ラーメンに、さっとアサリを炒めたものを入れる。これがとんでもなく旨い。アサリのバターワイン蒸しも2日おきならずうっと続けたい。
 旅先もこの方針はゆるがない。アメリカでどこかに入ると必ず頼むのもクラムチャウダーだ。ただしこれは絶品から劣等品まで、あまりに当たり外れがある。パリでは街頭で即売している牡蛎を食べ過ぎて、半日苦しんだ。それでもニューオリンズでは牡蛎にホースラディッシュをたっぷりつけて、食べまくった。
 ぼくの人生は「貝殻付き人生」なのだ。背中はそろそろ巻貝化しているのではあるまいか。日本の民謡でベスト3を選べば、必ず鳥取の「貝殻節」が入ってくる。
 それなのに貝にはまったく無知だった。マラコロジーを齧ってこなかった。それで気になるのである。

 本書を読んで、マラコロジーがまことに複雑で高級きわまりない学問だということがよくわかった。またそのわりに、研究途上のことが多く、まだ説明のつかないことだらけなのである。
 たとえば、貝の科学への一般人の関心は巻貝が右巻きか左巻きかというあたりから始まる。ぼくもそうだった。巻貝は腹足類に属する貝で、10万種ほどの種族繁栄をしつづけている。しかし、これが意外に難問なのだ。右巻きと左巻きのどちらが多いかというだけなら、9割が右巻きなのだが、その理由がはっきりしない。
 生物に対称性があるばあいは、その大半が回転対称型か左右対称型に分かれる。線対称か面対称になっている。ところが巻貝は線対称にも面対称にもならない螺旋でできている。ひたすら非対称づくめなのだ。巻貝は生物界でもめずらしい「鏡像進化」をしつづけた生物なのだ。けれどもなぜこんなふうになったのか、まだわかっていない。しかも陸足類にあたるカタツムリだけは、多くが左巻きである。
 ちなみに何をもって左巻きとか右巻きと決めるのかというと、螺旋自身になって端を見たとき、伸長方向が時計まわりならば右巻きで、反時計まわりなら左巻きというそうだ。

 本書はぼくが知らないことばかりで溢れかえっている。本書のあとに、同じシリーズの第2弾として、本書冒頭で時差出勤をする笠貝について書いた岩崎敬二が『貝のパラダイス』という本を出したのだが、これもその250ページほどの大半の叙述が、ぼくには未知の贈りものだった。
 考えさせられたことも少なくない。貝は動きがとれない環境にいることが多いので、雌雄同体へ移行するものが多いこと。しかもなんらかの戦略のために擬似的な雌雄同体もよくつくること。そのためしょっちゅう産卵障害にかかっていること。これだけでもふつうの生物の交配原則からすると、かなりの驚異である。
 なぜ貝が貝殻をつけたのかも、岩や石との共生関係が強調されて入れ子状態になったわけであるが、それにしてもマイホームを運びながら生活するようになったのは妙である。こうした貝殻づくりは、広くは「バイオミネラリゼーション」とよばれていて、われわれが骨や歯や爪をつくってきたことと同一現象になる。つまり石灰質をつくる生物現象である。

 しかしぼくの歯には模様もないが、貝殻は美しい。とんでもないデザイン能力をもっている。最近は女性の爪も模様をつけるようになったが、とうてい貝殻の多様性には及ばない。牡蛎の殻はコレクターの関心にものぼらないほど汚く、ゴテゴテしているが、そのかわりまことに軽く、しかもなんと方解石の結晶でできている。巻貝は鉱物をつくる生物なのだ。
 ようするに貝はその大半がマジシャンのようなことをしているわけなのデアル。知れば知るほど、貝は偉い、だから今日も食べたいというばかりなのである。もっともこうなると、がらりと見方を変えて、われわれもいま一度、貝塚を築くほどに貝に依存した生活をしたほうが、石油などに頼るよりよいのかもしれないとさえ思われてくる。
 地球は「虫の惑星」であって、かつまた巨大な「貝の惑星」なのである。ジュラシックパークより、シェラシックパークを!

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