福田アジオ
番と衆
吉川弘文館 1997
ISBN:4642054251

 トインビーの「散在体」を思い出して一夜あけ、またまた数年前に読んだ一冊の本の内容を思い出した。いまは新潟大学にいる民俗学者福田アジオの『番と衆』である。
 この本は東と西の日本の集落や村落や町村に継承されてきた社会組織形態の特徴を問うもので、徹底してフィールドワークにもとづく報告でありながら、そこから浮上してくる日本社会の静かな叫び声が聞こえてくるようで、ずっと気になっていた。結論は日本の東には「番組織」が多く、西には「衆組織」が多いというものだが、そのように関東が家を単位として「番」を守り、関西が地域を単位にして「衆」をつくってきたことに、なんだかものすごく愛着をおぼえるのである。

 すでに、日本がこんなに小さな国土でありながら、一種類の国でもなく、一つの社会組織が蔓延してつくられた国でないことは、以前から訴えられてきた。
 ランダムにいうのなら、坪井洋文が関東・中部地方に「餅なし正月」を発見したのが話題になって、岡正雄・福武直・山田盛太郎・有賀喜左衛門・戸谷敏之・磯田進・蒲生正男・住谷一彦らの研究がすすみ、主として村落構造の類型を「東北日本の双系的な同族制村落」と「西南日本の父系的な年齢階梯制村落」に分けることが定着し、そこへ宮本常一網野善彦の東西日本区別論が激しくかつ賑やかに加わり、たとえば「東の長子相続、西の末子相続」、「東の馬市、西の牛市」、「東のイロリ、西のカマド」、「東の背負い子、西の天秤棒」、「東の湯、西の風呂」といった区別がどこまで成り立つのかおおいに議論になったものだった。

 それだけでなく、サケ・タラは東でタイは西、東はソバで西はウドン、東はコシヒカリ・ササニシキの軟質米だが、西は硬質米、それと関係があるのか、東は朝炊きで朝食に炊立てのご飯に味噌汁納豆と海苔、西は昼炊きでそれをお櫃に入れて夕食に役立てるという「食べる文化」の相違も、ことごとく研究の対象になってきて、カレーがこんなに全国制覇しない時期は「豚カレーの東京、牛カレーの大阪」という特徴さえ指摘されたものだった。
 東西の文化的習俗的境界が遠江と三河あたりに、言葉の分布の境界線が岐阜・愛知あたりの川沿いにあることも、何度も指摘されている。
 しかし、こうした文化・風俗・習慣の差異が生活に影響を及ぼしている背景には、必ずや社会組織の形態や特徴になんらかのちがいが動いていたはずなのである。それが総じては、「東の党、西の一揆」にあらわれ、そこに「東の番、西の衆」というしくみが動いていたらしいのであった。

 番と衆が組まれたのは、そもそも集落の形態や景観に無縁ではない。関東・坂東では家屋はそれぞれが自立的傾向をもっていて、どちらかというと塀や垣根をめぐらし、外から見えにくくする。したがってそこでは「家」が単位になって「番」を受け持ち、それが回り番になる。月番、夜番、年番がこうして組まれていった。
 ぼくはこれを東の日本における「当番の文化」と言ったらよいかとおもっている。
 各自の祈りの形態も、屋敷神(氏神)が家の敷地の中にあるというふうになる。明治中期までは関東では墓地も家に対応して設けられていた。
 一方、近畿・上方の村落はたいていは「集村」で、家にはあまり塀がなく、垣根も低い。外から見えてもそれほど気にしない代わりに、簾や暖簾や格子が発達する。家が柔らかくつながっているだけに、共同体としての仕事は、集村が決めた層としての「衆」の構成になっていく。女衆、女子(やなご)衆、旦那衆、重立衆、六斎衆といった役割がこうして生まれていった。さしずめ西の日本における「席衆の文化」というべきであろう。
 祈りの形態も屋敷神はなく、小祠が村に必ず祀られる。墓地や埋葬地のサンマイ(三昧)はたいてい集村の外れか田畑の中にあり、両墓制である。

 こうした「東の当番文化」「西の席衆文化」というものは、それが東西社会の特徴をあらわしていることよりも、そのようにして地域のなんらかのコモンズとしての特性が社会性やネットワーク性としてあらわれていったことに、むしろ考えるべき何かがあるようにおもわれる。
 もっと感覚的なことをいうのなら、これらのちがいには、日本人がその地域のなかでなんとか寄り合おうとするときの特異な心情が滲み出したというふうにおもえて、そこに愛惜が募るのである。
 愛惜が募るというのはぼくの勝手な感想で、そんなふうに感じていたのでは社会論を議論するにはまずいのだろうが、しかしながら仏教説話説経節御伽草子歌舞伎の筋立てや台詞まわしを読んだり聞いたり見たりするたびに、実はこのようなコモンズやコミュニティやネットワークのありかたこそが、こうした文芸や芸能の特質になってきたのだともおもえてくるのだった。
 逆に、このような寄り合おうとする地域意識がそれぞれの地方に特徴しているからこそ、日本の「散在体」としての動きは、あの独得な遊行・遁世を生み、無縁・楽・公界をつくっていったのではないかと見えてくるのだ。

 ところで、本書は著者の苗字の福田がフクタと発音するという話から始まっている。著者は三重県四日市の出身で、関西には福田はフクダよりもフクタが多いらしい。そういえば兵庫の柳田国男もヤナギタ、大阪の折口信夫もオリクチなのである。
 これは気がつかなかったが、東京大学社会科学研究所はケンキュウジョであって、京都大学人文科学研究所はケンキュウショであるという。清音と濁音の違いなどまことにささやかなことでありそうだが、著者の鋭敏な捕捉があきらかにしているように、実はこういうことにも日本のコモンズの何かの特質があらわれているとみるべきなのだ。
 著者はこんな例も出している。東京の山手線の駅名は2字目、3字目の多くが濁音になっているというのだ。品川はシナカワではなくシナガワ、原宿はハラシュクではなくハラジュクというように。ちょっと声を出して読んでみてほしい。こういうことに敏感になることが結局は、「集在体」と「散在体」の感覚を磨くのである。
 品川・五反田・目黒・原宿・新宿・大久保・目白・池袋・巣鴨・駒込・田端・秋葉原・そしてカンダ・神田・か~んだぁ‥

コメントは受け付けていません。