ベルント・レック
歴史のアウトサイダー
昭和堂 2001
ISBN:4812200210
Bernd Roeck
Auβenseiter, Randgruppen, Minderheiten 1993
[訳]中谷博幸・山中淑江

 16世紀から17世紀前半にかけてヨーロッパは3つの領邦圏によってつくられ、守護されていた。
 第1に最もキリスト教的な「国王の国家」(フランス)、第2に最も獰猛で意欲的な「カトリック王の帝国」(スペイン)、そして第3にペテロ世襲領(ローマ教皇領)から最も神聖だと認定されている「ドイツ国民の諸都市群」である。
 本書は、この3つの領邦にまたがる時代背景のもとに出現していた(あるいは出現させられていた)代表的な周辺集団をひとつずつ採り上げ、その特質を独自に叙述して、いわゆる差別問題とマイノリティの問題とジェンダーの問題を扱った。
 たいへん刺激的である。すでに阿部謹也その他の功績によって、われわれは中世社会におけるマイノリティの問題をどのように受けとめればいいかの薫陶をうけているわけではあったけれど、実はその後の近世的な「マイノリティの変更」をうまく掴みそこねていたような気がする。それが本書では高速的で概括的ながらも、俯瞰できるようになっている。素材にも富んでいるし、考えさせられるところが多い。

 まずユダヤ人である
 ユダヤ人にアシュケナズィ(離散したユダヤ人のうちドイツや東欧に移住した民)とスファラディ(スペインに移住した民)があることを前提にしていうと、すでにユダヤ人は13世紀には儀式殺人と聖体冒涜をする連中だとみなされていて、はやくも5000人がポグロム(大量迫害あるいは集団殺戮)にあっていた
そうでなくともユダヤ人は、ツンフトの利益のために都市社会から締め出され、保護税と特別税を収めるという差別を強いられていた。そこへもってきて、ユダヤ人にはイエスを真のメシアとしてみとめずに見殺しにしたという非難が被せられていた。アシュケナージはしだいにポーランドに移住せざるをえなくなり、それができないユダヤ人はヴェネツィアがそうなのだが、ゲットーに入れさせられた(1516)。ゲットーはイタリア語で鋳造工場という意味で、それは最初の軟禁地区に鋳造工場があったからだった。
 こうして拭いがたいスティグマを捺されたユダヤ人たちは、黒死病や魔女の犯人扱いによるユダヤ人差別が終わっても、ヨーロッパの帝国の領邦制の確立のためには、ユダヤ人を迫害することこそが領邦を均質化するためには最も効果的な政策の犠牲になりつづけたのである。そこにはたいていはユダヤ人条例というものがあって、書籍没収、追放、経済活動の制限を明記していた。
 こうした中世近世型のユダヤ人迫害に変化が見られるのは、重商主義政策の必要とともに「宮廷ユダヤ人」が登場してきたことによる。しかしそれはまた下層ユダヤ人、いわゆる「放浪ユダヤ人」や「乞食ユダヤ人」をヨーロッパ全域にふやしていくことにもなる。

 次に再洗礼派や心霊主義者たちがいる。
 かれらはさまざまな意味からのルターの宗教改革に対する反発者ではあるが、そこには、ツヴィカウの予言者として知られるダーフィット・ツヴィリング、ルターと対立してザクセン選帝侯領を去ったアンドレーアス・フォン・カールシュタット、再洗礼派の急先鋒となったトマス・ミュンツァーなど、いちがいに一括りにはできない流派が並び立った。
 けれども、ここにはどこかアンチキリストに対する最終戦争をしなければならないのだというような終末論が共通して渦巻いてもいた。その過激なあらわれが
“新しきエルサレム” としてのミュンスター再洗礼派王国の
“実験” や、メンノー・シモンズのメノナイト派の結成
、あるいはヤーコプ・フッターのフッター派兄弟団による共同生活になる。
 これらの動向(そこに心霊主義や魔術師の動向も加わるのだが)を、総じてオカルティズムとして片付けるのは容易ではあるが、著者はそうではなくて、ここに帝国確立のシャドー部分として、マイノリティの「過補償」がおこったとみなしている。

 身体障害者もまた奇形児や怪物とみなされ、ひどいマイノリティとしての扱いをうけた。
 これは「国王の国家」(フランス)や「カトリックの帝国」(スペイン)や「ペテロ世襲領」(ローマ教皇領)において、しかるべき「規則」が普及すればするほどに必要となる「変則」の規定だったのである。規則が確立するのに最も必要なこと、それは、変則を明示することだった。すなわち例外を目に見えるかたちで規定することだった。マイノリティとはその「規則」と「変則」の境界線の告示のためにつくられたといってよい。
 身体的な特徴ばかりが差別されたのではなかった。精神的な障害もまったく同様の差別の対象となる。その代表が狂気と、そしてメランコリーである。かのウィトカウアーの「土星とメランコリー」の研究がすぐ浮かぶ。
 放浪型の芸能者の多くも近世帝国が確立するにつれ、はっきりと「しるし」をもつマイノリティになっていった。ジプシーもここに属している。
 しかしかれらがまた、つねに貴族や民衆から「奇跡」を期待されていたことも奇妙な“反対の一致”ともいうべき事実で、メランコリーの持ち主も、その才能が天才的な表現力を示すならば、それはそれで喝采をうけたのでもあった。ルネサンスがメランコリーと天才の両方を輩出していることが刻印された背景には、こういう事情もあった。

 いささかわかりにくいのはユグノーの迫害である。なぜなら、ここには「マイノリティの勝利」があるかのように見えるからだ。
 ユグノーは多様な宗教避難民集団ともいうべきもので、ナントの勅令廃止が確定した1685年に逃亡したフランスのカルヴァン主義者だけをさすのではない。ワルド派、スペイン領ネーデルランドからのワロン人、フラマン系ネーデルランド人、ロマンス系スイス人、ブルゴーニュ低地のカルヴァン主義者たちのいずれもが、ユグノーだった。
 ただし、かれらには共通点があった。自分たちを「亡命者」とよんでいたことである。もうひとつ、各領邦ではユグノー政策はことごとく移民政策の代名詞となっていたということだ。
 この移民政策の対象者としてのユグノーは、実は資本主義の“隠れた歯車”になっていたというふうに見られているところがある。かれらが高級な嗜好品の生産や流通に従事したことがその主な理由なのであるが、著者はユグノーを「資本主義の先兵」や「ブルジョアの先駆者」とみなすことには慎重になっている。それよりもむしろ、三十年戦争によるヨーロッパ人口の急速な減少が、ユグノーを「マイノリティからの変容」に発展させたのではないかという視点を採っている。

 このほか本書では、刑吏や皮剥ぎ職人や糞尿処理人などの「名誉なき人々」、正統と異端を告示するための「非嫡出の人々」、男色者公娼・私娼カストラートなどをとりあげて、かれらがいかに近代を準備する「神の帝国からの甚だしい逸脱」という特徴をもたらされていたかを、ざっとスケッチする。
 著者はまじめな学者らしく、とくに売春によるジェンダー差別については遠慮がちな慎ましいスケッチしかしていないが、マリア・テレジアのウィーンでは女帝自身が貞操協会を設置したにもかかわらず、1万名以上の娼婦と4000人の高級娼婦が活動していたことがわかっているように、実は売春とマイノリティの問題は、このような研究の中央に位置すべき問題である。
 これは江戸文化を華々しく論じようとすればするほどつねに付きまとう問題に似て、いまだに
“ごった煮”
がおこりにくいものになっている。フェミニズムに片寄るか、歴史学としてあまりにもお粗末か、そのどちらかなのだ。本書もその点では旧範を脱してはいなかった。
 しかし、本書が最後に提示した視点には見るべきものがひそんでいた。
 それは、総じて差別とマイノリティの問題は、次の啓蒙主義の時代の活動や結社や思想の中で、すべてもういちど検討されざるをえないのではないかというものだ。まさにそうなのだ。もしわれわれが今日なおマイノリティの問題の大半に展望を見いだせないでいるのだとすると、それは、啓蒙主義というものが実はそうとうに「あやしいもの」だったということになるからなのである。

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