萩原朔太郎
青猫
新潮社 1923 集英社 1993
ISBN:4087520404

 朔太郎については言ってみたいことがいろいろある。とくに晩年の「日本回帰」については、ゆっくり考えたいと思ってきた。これまでの朔太郎論では、日本を想う朔太郎を非難する向きが多いのだが、どっこい、そう安直に断罪して見たくはないからだ。
 しかし、ここではそういう朔太郎の「手前」を感想しておくことにする。それならやはり『青猫』だろう。『月に吠える』のあと6年後に纏まった大正12年の、第2詩集である。関東大震災および大杉栄・伊藤野枝の虐殺に見舞われた年だった。

  私の情緒は、激情(パッション)といふ範疇に属しない。むしろそれはしづかなる霊魂のノスタルヂヤであり、かの春の夜に聴く横笛のひびきである。

 ここに引いたのは、序の冒頭部分で、「しづかなる霊魂のノスタルヂヤ」がひときわ目立っている。ノスタルヂヤは初版では「のすたるぢや」に傍点が打たれた。
 この序はこのあと、自分の詩は激情でも興奮でも、また官能ですらもなく、ひたすら「主音の上にかかる倚音」であって「装飾音」であると綴られる。何かを言い分けしているようだが、まさにそうなのだ、朔太郎は詩の役割をごくごく限定された魂の刻限に運びたかったのである。
 「ただ静かに霊魂の影をながれる雲の郷愁」や「遠い遠い実在への涙ぐましいあこがれ」の方角にひそむ刻限に。

 なんとかしていっさいの主観的主張からも主語的主題性からも外れていこうとしている朔太郎の詩人としての気分が、「倚音」「遠い実在」「あこがれ」といった言葉の調べに乗せられて、なるほど「霊魂のノスタルヂヤ」とはどういうものかが、だいたい見当がつくようになっている。
 しかし、「春の夜に聴く横笛」とは何か。朔太郎は笛の音こそは「艶めかしき形而上学」なのだと言い、「プラトオのエロス」だと説明するのだが、何度か『青猫』周辺を読んでいた青年時代、ここがもうひとつ呑みこめなかったものだった。

 当初、朔太郎は『月に吠える』では、「詩とは感情の神経を掴んだものである。生きて働く心理学である」と書いていた。
 そう書いて、これでは説明にならないと見たのか、すぐに「詩のにほひ」とか「詩のにほひは芳純でありたい」と言い直し、さらにそれでも満足できないかのように、「詩は一瞬間に於ける霊智の産物である」「電流体の如きもの」というふうに、言い替えた。
 けれども『月に吠える』では、霊智はまだ朔太郎の知覚からは飛び出ていない。電流体もパルスに至っていない。
 そこで朔太郎は「私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまひたい」と叫んで、月に「おわあ、こんばんは」と吠えたのである。
 これが評判になった。白秋は序文を寄せて、「月に吠える、それは正しく君の悲しい心である」と書いた。けれども、ぼくはその詩集の作品に「にほひ」が満ち、「電流体」が走っているとは感じなかった。朔太郎もそれを知っていた。
 『青猫』では何かの脱出を企てたい。
 朔太郎はそう思っていたことだろう。ただ、その脱出が春の夜の横笛であったことは、当時のぼくには掴みきれない何かであった。なぜなら『月に吠える』の詩では、春は「ああ、春は遠くからけぶつて来る」「とんでもない時に春がまつしろの欠伸をする」であって、「春がみつちりとふくれてしまつた」であったから―。それなのに、またしても春の、春の夜の、その春の夜の横笛。

 こうして、ぼくは朔太郎の青猫化にこそ関心をもった。そこにはひとつの媒介もあった。『新しき欲情』である。
 朔太郎は『月に吠える』のあと、芥川龍之介を意識したかのようなアフォリズムにしばらく没頭して、『新しき欲情』を上梓した。ぼくがこれを新潮文庫で入手したのは、その文庫への書きこみでわかるのだが、1962年のこと、貪るように読んだ記憶がある。この一冊についてもいろいろ言いたいことがあるのだが(そのひとつが朔太郎の「日本回帰」と関係もあるのだが)、それは我慢して、この一冊はぼくに「認識の薄暮」というものを教えてくれた。
 このパスポートはたいそうなもので、そうか、薄明においてのみ捕捉しうる感覚の言葉というものがあるのかということを、ただちに了解できるような微分方程式だった。ぼくは『青猫』を、そのパスポートで読んだわけである(ちなみに、のちに『郷愁の詩人與謝蕪村』を朔太郎全集で読んだときも、この「認識の薄暮」を約束するパスポートが文学的税関をぼくに突破させたものだった)。

 朔太郎は青猫となった。
 青猫とはギリシア神話の片隅に坐る病気の彫像であり、六月の都会の夜を覆っているしじまであって、ボギー電車のパンタグラフから飛び散る青い火花そのものである。
 朔太郎は青猫となって、どうしたか。フラジリティを詠もうとした。さすがにフラジリティともフラジャイルという言葉をつかっているわけではないが、詩のイメージはほとんどすべてがフラジャイルであって、そのうえで、たとえば序では「かすてらの脆い翼」とか、『強い腕に抱かる』では「私の心は弱々しくいつも恐れにふるへてゐる」とか、『月夜』では「ああ、なんといふ弱々しい心臓の所有者だ」というふうに、また『蝿の唱歌』では「とどまる蝿のやうに力がない」とも、あきらかな言葉で「脆うさ」「弱さ」を織りこみもした。
 朔太郎は、このフラジリティを「認識の薄暮」に置きざりにしたいのである。自分で選びきった言葉の薄明の中を、自分自身で通り抜けたかったのだ。

 きっと、このために選び抜かれたのが「春」であったのであろうと、ぼくもいまでは思っている。
 おそらく朔太郎は少年期にすでにどこかで春に遊びながら、その春に追い出されたのであろう。その春をこそ追憶し、その春に戻りたいのであろう。朔太郎が芭蕉よりも蕪村を偏愛し、ヴェルレーヌよりボードレールを凝視していた理由もそのあたりにあるにちがいない。
 けれども、そういう春はもはや朔太郎から去っていた。朔太郎がなしうることは、言葉によって記憶の春を薄明のなかに漂わせ、そこに、春から捨てられた青猫としての自身のかかわりを何らかの手立てで響かせることだったのである。
 きっと春の横笛とは、そういうものなのだ。
 ハーモニカが好きだった少年朔太郎は、その響きを横笛に変え、春の真っ只中に置き去りにしたかったのである。『憂鬱なる花見』は次のように終わっていく。

  ああ そこにもここにも
どんなにうつくしい曲線がもつれあつてゐることか
花見のうたごゑは横笛のやうにのどかで
かぎりなき憂鬱のひびきをもつてきこえる。
いま私の心は涙をもてぬぐはれ
閉ぢこめたる窓のほとりに力なくすすりなく
ああ このひとつのまづしき心は
なにものの生命をもとめ
なにものの影をみつめて泣いてゐるのか
ただいちめんに酢えくされたる美しい世界のはてで
遠く花見の憂鬱なる横笛のひびきをきく。

   

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