菅原千代志
アーミッシュ
丸善ブックス 1997
ISBN:4621060600

  アーミッシュは電気をつかわない。自動車はあることにはあるけれど、所有は認めず利用だけを認める。電話は家庭内にはなく、屋外に設置された電話だけがある。
 伸ばした髭に襟なしの黒の上着をきちっと着ている男たち。黒い帽子も象徴的である。長いワンピースに白いオーガンジーのキャップをかぶる女性たち。写真を見るかぎり、多くの女性が美しい。子供たちはたいてい白いシャツに黒いベストをつけている。
 家族のコミュニティは全員が同じ農業を営むメンバーで、移動は馬車(バギー)をつかっている。会話はペンシルヴァニア・ダッチとよばれる古いドイツ語が中心になっている。この会話言葉は現在のドイツ人にはまったく理解できないものになっている(その原型はスエヴッィシュだろうと言われている)。ところがアーミッシュは、何かを書くときは英語をつかっている。

 いったい文明を拒否しているのか、抵抗しているのか、それとも文明の利器以上の利器を知っているのか
 あの映画を見た者は誰もがそう思っただったろうけれど、ハリソン・フォード主演の映画『目撃者・刑事ジョン・ブック』で伝わってきたアーミッシュの日々の光景は、あきらかにアメリカの中の異郷をあらわしていた。

 アーミッシュはキリスト教再洗礼派に属している。原郷はスイスであった。ルターの宗教改革が進むなか、1525年にオランダ再洗礼派のメノー・シモンズがグループをつくって、これがメノー派とかメノナイトと呼ばれた。
 国家と教会の分離を確信し、いっさいの政治の宣誓にかかわることを拒否し、いかなる権威も偶像も認めなかった。三十年戦争のときに迫害を逃れて、パラティネイトやアルザス・ロレーヌに移住した。けれどもそこで重税を課せられ、一人の男が1693年にメノナイトを離れた。彼はヤコブ・アマンという男で、指導力を発揮して、
アマンに従う者たちがふえていった。これが“アマンの連中”ことアーミッシュである。
 やがてアルザスが1712年にフランス領となると、ルイ14世によって追放されたアーミッシュたちは近隣に逃れるうちに、クェーカー教徒のウィリアム・ペンの誘いに応じてアメリカ移住を決断した。ペンシルヴァニア州への移住だった。ペンはアーミッシュの農業技術に期待をしたようだった。
 1750年までに約500人のアーミッシュがペンシルヴァニアに住むことになった。いまでは、全米22州と、オンタリオに約15万人が18世紀のような日々を送ってコロニーを形成しているという。

 本書は写真家の著者がみずから飛びこんで、アーミッシュとの日々を綴ったもの、とくに気負いもなく淡々とアーミッシュの生活が描かれる。
 アーミッシュには「オルドヌング」という規則があって、この規則によって生活をし、季節を送り、信仰を維持する。その生活は文字通り厳格で、質素であるが、また陽気に満ちてもいる。「ゲラッセンハイト」とよばれるその哲学ともいうべきは、ドイツ語にもそれにあたる言葉がないので正確な語意はわからないそうだが、「神の賜物は何であれ感謝をもって受容する」というような意味をもつらしい。そこに質素と陽気の起源もあった。
 しかし、「ゲラッセンハイト」を犯した者はシャンニングあるいはマイドンクという追放を受ける。
 こうした規律の厳しさは、しかし、その日々を一緒に送ってみると、生活の細部が実はそれらを反映することになっていて、まことに自然なものになっているという。たとえば女性は衣服にボタンをつかわずに、ピンをつかい、男性はシャツのボタンを見えないように着て、ラベルのない上衣をフックで止めている。こうしたことが何の苦もなく維持されていることが、実は規律をおおげさにしないですんでいる秘密なのである。
 1995年のこと、著者は20年ぶりに映画『目撃者』の舞台となったダッチ・カントリーに入る。緑がまことに美しい田園である。

 アーミッシュの子供たちは8学年のワンルーム・スクールハウスで学ぶようになっている。最も大きいアーミッシュ・コミュニティのあるオハイオ州ホルムス郡には、ワンルーム・スクールハウスが55校もあるらしい。しかしアメリカの教育制度とはまったく関係がない。
 授業はほとんどが自習にもとづいている。手をあげて自分の学習を進めるのが子供たちの自主性なのである。この例に代表されるように、アーミッシュではすべてが自律的に動いていく。そのリズムにこそアーミッシュの日々がある。
 ふつうの社会学で考えれば、このような生活が成立するには強靭な信仰か支配か、あるいは豊かな生産力がなければ維持できないと見えるはずである。ところがアーミッシュはつねに自立し、自律してきた。その秘密について本書は詮索などしていないけれど、おそらくは相互扶助システムこそがアーミッシュを支えてきたのだとおもわれる。
 しかし、このクロポトキンもO・E・ウィルソンも武者小路実篤も提唱したシステムは、歴史的にはめったに成功していない。ではなぜアーミッシュは美しい日々を送っていられるのだろうか。
 答えはどうもわからない。ただ、教会がないことがひとつのヒントになるのかもしれない。お祈りは隔週日曜の各自の家の持ち回りなのである。このことからハウス・アーミッシュという呼称も生まれたのだが、とはいえそこにはビショップ1人、ミニスター1人、ディーコンが1人いるだけなのだ。だいたいこの単位で20~30の家族がひとつのグループをつくっているだけなのである。

 ぼくはべつだんアーミッシュを美化するつもりはない。けれどもあまりにも淡々と時代を無視しているところが、しかもそれを集団で無視しているところが、何かを考えさせるのだ。

 アーミッシュたちは、アーミッシュ以外のアメリカ人を「イングリッシュ」と呼んでいる。そして、著者には、つねに「イングリッシュには気をつけなさい」と言っていたそうである。

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