佐々木洋
カラスは偉い
光文社 2001
ISBN:4334780938

 友人から「一人、娘を預かってほしいというのがいるんやけど」と電話があった。電話をかけてきた友人は京都の呉服屋の旦那で、小学校時代の同級生である。娘を預けたいと言っているのも京都の呉服屋(悉皆屋)だった。
 やがて元気のいい美大を卒業したばかりの娘が仕事場にやってきた。何をやってたのと聞くと、彫刻をやってましたと言う。親父さんの依頼なのでしばらく面倒をみることにしたが、さて彫刻をしたい娘がぼくの仕事場にあうのかどうかわからない。そこで「作品を見たいな」と言ったら、数日後に作品のアルバムと実際の彫刻作品をもってきた。アルバムには相撲取りを膨らませたような奇妙な彫塑が写っていて、才能があるのかどうか、掴みにくい。
 実物の作品のほうは鉄でつくった真っ黒なカラスであった。ほぼ等身大で、黒光りしている羽根がそそけて、眼光も鋭く、不気味な出来栄えである。
 嘴が鋭かったのでハシボソカラスだろうか。
 「ふうん、カラスねえ」。いささか呆気にとられて、ぼくは呟いた。「ええ、カラスが好きなんです」と彼女は京訛りで言った。すでに東京のカラスが問題になっていたころだったが、彼女は「いいえ、カラスはすごいです」と多くを語らない。
 その後、彼女の実家の呉服屋は不渡り手形をいくつかつかまされて、ある日、倒産。両親とともに彼女は家の仕事の建て直しのために戻っていった。結婚したとも聞いた。ぼくの仕事場の片隅に黒いカラスだけが残った。

 カラスが烏合の衆であるかどうかは、ずっと議論の対象になってきた。しかしコンラッド・ローレンツがコクマルガラスをわが子のように育てた記録を愛読してきたぼくには、カラスはとうてい烏合の衆ではない。
 つまりカラスは「烏の真似をする烏」ではないはずなのだ。

 ところがテレビや新聞で報道されるカラスはどうにも歩が悪い。悪さばかりをしているように不吉の黒鳥集団のように喧伝されている。そこへもってきて石原都知事のカラス発言である。この都知事は文学的にも政治的にもB級なのだから、べつだん気にしなくてもいいのだが、ただ煽動の勢いがあって、そのせいでカラスの旗色がそうとうに悪くなっている。
 そこで時折、カラスの応援のための本を啄(ついば)んでいたのだが、詳しすぎたり感覚的すぎて、いまひとつカラスの強力な援軍になってくれない。これではカラスへの信頼がいまひとつ確立しきれない。おまけに夜明けに赤坂稲荷坂を帰路に向かうころ、電線の上にズラリと並んでバサバサと飛び交っている下を通るときなど、さすがに不気味なものもあって、心からカラスの諸君を迎えてはいない自分に気がつかされもする。
 そんなところで手にしたのが、この『カラスは偉い』という一冊だった。タイトルも立派だが、中身も立派、ともかく一途にカラス諸君の肩をもっている。
 著者はカラスの専門家ではない。日本自然保護協会の自然観察指導員で、都市動物研究会の理事長をしている。都会に住む小動物たちを味方する王様というべきで(1960年生まれだから王子様か)、ともかく都会の自然をいきいきと見つける才能に富んでいる。カラスにかけてもひとかたならぬ愛着があるようで、自分で「カラス博物館」というものを新小岩につくっている。

 本書がカラスに捧げた評価は、ものすごいものがある。
 曰く「カラスは不敗神話をもった鳥類最強の戦士である」、曰く「カラスの体は完璧なバランスをもっている」、曰く「カラスはリサイクル運動の実践者である」、曰く「カラスは優雅な貴金属コレクターである」、曰く「カラスは芸術的なセンスにあふれた優秀な建築家である」。
 カラスの体が完璧だというのは、一突きでネコを殺せる嘴で、弁当の蝶結びの紐を解いてしまう起用さを兼ね備えているところに象徴されている。とくにハシブトガラスの嘴がものすごい。何でも呑みこめる砂嚢(砂肝)もすごい。たいていのものは砂嚢で砕く。
 本書では、そうしたカラスのスーパースター十傑を選んでいる。これが傑作で、石神井公園に出没する「待ったカラス」は公園で将棋しているおじさんに向かって「待った、待った」と鳴く。葛飾の水元公園には、ベンチで休む人間どものポケットから次々にモノを盗む掏摸(スリ)のカラスがいて、これは「すりガラス」と呼ばれている。渋谷のハチ公前にはときどきホームレスのおじさんが飼っているカラスとともにあらわれ、木製のドラムスティックをおじさんと綱引きをするパフォーマンスを見せているらしい。
 船橋の海浜公園では、砂浜のシジミをさっと咥えて、空中で貝を割って中身を食べ、貝殻だけを下に落としてみせる曲芸師のようなカラスがいて、京成電鉄の小岩駅にはラッシュ時だけに飛び降りてきて混雑するホームを縫うように歩き回る「助役さん」とよばれているカラスがいるという。
 こういうスーパースターの報告を聞いていると、やはりカラスは悪達者だとおもうよりほかはない。しかし著者は、その悪達者こそが人間の子供とぴったり合致する知恵の発生だとみなしているのである。

 著者が最後に提言するのは、なんならカラスととことん闘ってみたらどうかというものだ。そんなにカラスが憎いなら、闘ってみなさい。とうてい勝てっこないはずだというのだ。
 この提言はなまじの環境保護議論よりおもしろい。おもしろいだけではなく、なるほど人間というものは古来、この闘いをやってきて動物好きになっていったのだ、自然とは一度は闘うものなのだというふうに得心できるものがある。いまはあまりにも闘い知らずの保護主義なのである
 では、いかにわれわれ日本人がカラスのお世話になっているかという問題。次の熟語の読み方と意味を答えなさい。「烏雲。烏帽子。烏瓜。烏賊。烏棚。烏羽玉。烏輪。烏滸。烏金。烏龍茶。烏将軍」。
 以下回答です。ウウン(鳥のように集まり雲のように散ること)。 エボシ(被り物。絹製で漆を塗った)。ウカ(まくわうりの一種、つまりカラス瓜)。イカ(イカは水に浮いて死んだふりをして烏をおびきよせるという俗説から)。カラスダナ(違い棚が2組になったもの)。ウジタマ(ひおうぎの実)。ウリン(太陽のこと、あるいは金烏)。ウコ(漢代の未開部族のこと。つまり南方の戎)。ウキン(鉄の異名)。ウーロンチャ(烏も好きなウーロン茶)。カラスショウグン(イノシシのこと)。

コメントは受け付けていません。