ホルヘ・ルイス・ボルヘス
伝奇集
岩波文庫 1993
ISBN:4003279212
Jorge Luis Borges
Ficciones 1944
[訳]鼓直

 1899年のブエノスアイレス生まれ。石川淳と同じ年の生まれである。かつて澁澤龍彦が「ボルヘスがプラトニズムならば、石川淳はタオイズムであろう」と書いていたことを思い出す。
 そのころはなるほどうまいことを言うと思ったが、あらためて考えてみると、石川淳がタオイズムであることは半分当たっているとして(幸田露伴なら半分以上がタオイズムであるが)、ボルヘスがプラトニズムとは、これは四分の一しか当たっていない。

 だいたいボルヘスにどんな"イズム"をもってきても、当たりっこない。ボルヘスの書物はある特定のページだけが咳払いをするのだし、ボルヘスの友人は眠りながら目を醒ますのだし、ボルヘスには「すべての作品はただ一人の作家の作品」(『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』)なのである。
 むしろボルヘスには「反対の一致」とか「書物らしさの追求」といったような、いわば意味が分散していくような言葉のほうがふさわしい。もうすこしボルヘスらしく言うのなら、たとえば「みかけの構造は、みかけなのか構造なのか」とか、「私が知っているとこを知るにはどうしたらいいか」とか、また「この言葉の一角には何がさしかかっているというべきか」というふうに言えばよい。
 なにしろ1936年にボルヘスがアドルフォ・ビオイ・カサーレスと共同編集した雑誌は『デスティエンポ』、すなわち「時期はずれ」というタイトルなのである。

 ボルヘスはどうも一人でいるようには見えない。その理由を説明するのは、ほとんどボルヘスの本質の特徴をすべて列挙しなければならないようなことになりそうなので、ここでは遠慮しておくが、ぼく自身は次のような光景を思い浮かべる。
 80歳のボルヘスを内田美恵とともに明治神宮に案内したときのことである。ほとんど失明状態だったボルヘスは、広く続く玉砂利を踏む人々の乱れた足音に耳を傾けながら歩みつつ、その音をいくつもの比喩の言葉に変えていた。
 日本の神社というものの「構造」だか「みかけ」だかを想像していたのだろうか、「これを記憶するにはどうすればいいか」というようなことを、ぶつぶつと呟いていた!
 これは耳を疑った。いや、こみあげるほど嬉しくなったといったほうがいい。ボルヘスはどこにいても一人などではありっこなかったのだ。そのときボルヘスは、どうしてもぼくがその言葉の断片を憶えられないような言葉ばかりを選んでいたようにおもう。
 「カイヤームの階段かな、うん、紫陽花の額にバラバラにあたる雨粒だ」、「オリゲネスの16ページ、それから、そう、鏡に映った文字がね」、「日本の神は片腕なのか、落丁している音楽みたいにね」、「邯鄲、簡単、感嘆、肝胆相照らす、ふっふふ‥」。まあ、こんな調子だった。
 ぼくはふと、「話すということは類語反復によろこんで陥ることなんだ」という『バベルの図書館』の文句が突き刺さってくるのを感じていたほどだった。

 ぼくにボルヘスを教えたのは若き荒俣宏である。篠田一士が日本に初めてボルヘスを紹介した直後くらいのことだとおもう。『記憶の人、フネス』だった。
 まるまる筋書をしゃべってくれたので、異様な興奮に立ち会った憶えがある。それから『伝奇集』のいくつかを読み(まだ全体が翻訳されていなかった)、やがて翻訳本が出るたびに読み上げていった。『不死の人』も『砂の本』も『幻獣辞典』も『悪党列伝』も、なにもかもが刺激的だったが、ボルヘス本人に出会ってみて、ふたたび『伝奇集』に戻っていった。

 『伝奇集』は9本の短編で構成された「八岐の園」と10本の短編が並んだ「工匠集」でできている。『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』『円環の廃墟』『バベルの図書館』『記憶の人、フネス』『ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール』『八岐の園』『南部』など。いずれも本書に入っている。
 さきほど「類語反復」という言葉をつかったが、これらの作品はそれぞれが独立していながらも、その全部がどこかで類語反復の光芒を放っているようなもので、最初に一気に読んだときは、さまざまな場面が交じって困ったものだった。
 その点、荒俣宏はたいしたもので、フネスの物語をかなり正確に順を追って話してみせた。
 どうやらボルヘスの読み方というものがあるらしい。これは読み直さなければならない。
 そこでぼくもあらためて「ボルヘスを読む夜」というものを設けて、たとえば『円環の廃墟』で、「よそ者は、焼け落ちた神殿にどことなく似た円形の階段教室の中央にいる自分を夢に見た」という文章に出会ったら、次に、「男は、夢を構成するものだが、脈絡がなく、すばやく過ぎていく素材を鋳型に入れるのは、人間のなしうる最も困難な仕事であることを悟った」といったわかりやすい文章のあとに続く、「それは砂で縄をなったり、表のない貨幣を風で鋳造したりすることよりも、はるかに困難な仕事だった」というような、イメージの不可視化というのか、説明の裏切りというのか、そういう不埒な挿入が入ってくるというボルヘスの流儀を徹底してマスターしたものだった。

 これで、Aの作品がBの作品に押込み強盗のように跨いで交じってくることはなくなった。そればかりか、しだいにぼくのボルヘス感覚が研ぎ澄まされることになった。
 適度にボルヘスの作品を語っているようで、それが正確ではないのにボルヘスふうになるように語れるようにさえなった。
 それで『円環の廃墟』でいうなら、たとえ「グノーシス派の宇宙生成によれば、造物主は脚で立つことのできない赤いアダムをこね上げる。魔術師の夜がつくりあげた夢のアダムも、あの土のアダムと同じように不器用で、粗末で、幼稚だった」などという文章に出会っても、怪しげなグノーシス派のことがそこに急に出てくるからといって、そんなことに騙されなくなったのである。
 ところが、ところがである。そこまでボルヘスの流儀を"研究"したのがいけなかったようなのだ。ぼくは『円環の廃墟』が「安らぎと屈辱と恐怖を感じながら彼は、おのれもまた幻にすぎないと、他者がおのれの夢を見ているのだと悟った」という最後の文章で終わっているその結末から、まったく逃れられなくなっていた。
 こうして結局は、ぼくはまたボルヘスをボルヘスにならないようにして読むようになったのである。

 われわれは、それを知っているということをどのように知るかという方法をもってはいない。また、われわれは何を知っているのかということを考え出す術をもっていない。
 ボルヘスが『伝奇集』でみせたことは、この方法を見る方法があるということだった。
 たとえば、われわれは時間をどのように知っているのか。時間を知っているということを、どのように説明できるのか。それをボルヘスは『八岐の園』にあらわした。そこに「分岐し、収斂し、平行する時間のめまぐるしく拡散する網目」をつくってみせた。その時間の網目では、われわれは互いに接近し、分岐し、交錯し、互いに離れながらも重なることができる。
 またたとえば、われわれは場所というものをどのように説明すればいいのか、わかっているのだろうか。おそらくはその場所を説明しようとしたとたん、それがいかに困難なことかを知らされるに決まってる。そこでボルヘスは『アレフ』という場所をつくってみせた。そこは「すべての場所が重なったり、混ざりあったりせず、あらゆる角度から眺められる地球上で唯一の場所」なのである。

 あるいはまたわれわれは、その文字の綴りで何かの意味があらわされているということを、その綴りの中に入って説明できるだろうか。そんなことは語源学者しか説明できないと思ってはいないだろうか。
 しかし語源学者だって、父がつけた娘の名前の綴りの中に父の記憶が入っていることなど、とうていわかるはずがない。そこでボルヘスはにっこり笑って、『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』や『死とコンパス』に、次のように書くのである。
 「トレーンの祖語では名詞のかわりに副詞が価値をもっていて、単音節のところで意味を撥ねさせる」「第1の文字を語られたとおもえば、それが神の名にもなるのです」。

 ボルヘスは「形式と手続きと知識と知覚」とがほとんど重なっていることを確信できた稀有な文学者だった。
 このことは、ボルヘスが書物とか頁とか編集とか書棚というものを確信していたことにつながっている。アルゼンチンの国立国会図書館の館長でもあったボルヘスが、少年のころから異常な書籍狂いであったことは、ボルヘスのどんな作品からもどんなエッセイからも嗅ぎとれる。
 ということは、ボルヘスが登場させる人物は書棚から一冊の書物を取り出したということなのである。あるいはその中の1ページに目を落としたということなのだ。また、天文台で望遠鏡をめぐらしてそこに星が見えたということは、天体が図書館であって、星座が任意の書物の並びになっていたということなのである。
 さらにまた、ボルヘスが旅をしたというときは、百科事典かカタログの参照番号を追っていたということなのだ。

 オクシモロンという奇妙な修辞法がある。言葉が互いに矛盾しあう形容性によって互いに修飾されあう関係になるような修辞法のことをいう。
 ボルヘスにとって「形式と手続きと知識と知覚」はオクシモロンのようになっている。このことが了解できれば、ボルヘスをボルヘスにならないで読むことがたのしくなる。そのかわり、ボルヘスにならないかわり、われわれ自身の「形式と手続きと知識と知覚」がオクシモロンのようになる必要がある。
 これは、われわれは「ボルヘス」を読むのではなく「ボルヘスの書物」を読むのだという根本的なトリックを信仰できるかどうかということにかかってる。
 (実のところ、まったく同じことをぼくは自分の仕事について、諸君にわかってもらいたいと思い続けてきた。ぼくはいま仲間とともに仮称「ISIS図書街」というものを準備しているのだが、それはボルヘスが書物や図書館に託した信仰と同様の信仰によって支えられている)。
 では、『バベルの図書館』で、ボルヘスがどのように図書館をオクシモロンの構造にしようとしたか、そのことを最後にちょっとだけ紹介しておくことにする。

 その図書館は、その中心が任意の六角形であって、その円周は到達不可能な球体なのである。
 そこでは、五つの書棚が六角の各壁にふりあてられて、書棚のひとつひとつに同じ体裁の32冊ずつの本がおさまっている。それぞれの1冊は410ページから成っている。各ページは40行、各行は約80文字で綴られる。
 この図書館は永遠をこえて存在しつづける。なぜならば、そこにはたえず有機的な文字をもった書物が一冊ずつ加えられつづけるからである。
 しかし、どの一冊をとっても、その一冊が他の全冊と関係をもたないということはない。たとえば私の父が図書館の1594号回路で見かけた一冊は、第1行から最終行までMとCとVの文字が反復されるがごとく並んでいた。しかしそれが意味がないと、いったい誰が決められるだろうか。その一冊は、少なくともそのような配列をもつことによって迷路になりえているのである。
 あるとき、図書館の監督官が同じ行が2ページにわたっている一冊の本を見つけた。まったくの印刷ミスかのように見えたこの一冊は、その言語が何語であるのかわからなかったので、しばらく調査にかけられた。やがてグアラニー語のサモイエド・リトアニア方言で書かれた書物であったことが判明した。それはその地方の図書館の書物の結合法を示すルール解説だったのである。
 こうして、その図書館では他のすべての書物の鍵であって完全な要約でありうるような一冊の書物が含まれているということになる‥‥。

参考¶ボルヘスのものは3分の1くらいが翻訳されてきた。最初は篠田一士訳『伝奇集・不死の人』(集英社)で、これは「世界文学全集」第34巻に入った。フェルロシオ、デュ・モーリアと同居した。同じころ土岐恒二訳の『不死の人』(新しい世界の短編・白水社)が出た。その後、1974年になってボルヘス・ブームがおこり、『ブロディーの報告書』(新しい世界の文学・白水社)、『幻獣辞典』(晶文社)、『創造者』(国書刊行会)、『ブエノスアイレスの熱狂』(大和書房)、『永遠の歴史』(筑摩書房)、『砂の本』(集英社)というふうに次々に紹介が続き、ごく最近にふたたびブーム再来で『ボルヘス詩集』(思潮社)などが陽の目を見た。これらは本書の訳者の鼓直さんの努力と意欲が大きかった。いまはエッセイばかりを集めた『ボルヘス・コレクション』全7巻(国書刊行会)が刊行中。

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