宮城道雄
雨の念仏
三笠書房 1935 日本図書センター 2001
ISBN:4820558900

 サントリー音楽財団の仕事で秋山邦晴さんに頼まれ、早坂文雄を調べているうちに、新日本音楽に関心が及んでいったことがある。新日本音楽は、大正9年(1920)に本居長世と宮城道雄が有楽座で開いた演奏会の斬新きわまりない感興に対して、吉田晴風が名付けた名称である。
 すでに宮城は明治42年に『水の変態』を作曲して、その後も傑作『春の雨』などを発表していたのだが、大正3年に入って『唐砧』で洋楽を絶妙に取り入れていた。近代日本音楽史上最も重要な曲である。最近のレコードやCDでは箏の高低二部と三弦の三部合奏曲になっているが、初演の時は三弦も高低二部になっていて、箏と三弦の四重奏曲だったらしい。
 宮城はつづいて三拍子の『若水』、セレナーデ風で尺八にカノンを入れた『秋の調べ』、さらには室内管弦楽の構成を和楽器に初めて移してこれに篠笛を加えた『花見船』、合唱付きの管弦楽様式による『秋韻』などを次々に発表して、圧倒的な才能を発揮した。いま、諸君が『さくら変奏曲』や『君が代変奏曲』に聞くのは、そうした実験曲をずいぶん柔らげたものである。
 その宮城が、尺八の吉田晴風・中尾都山・金森高山、箏曲の中島雅楽之都、研究者の田辺尚雄・町田嘉章らと取り組んだのが新日本音楽だった。

 宮城の「新日本音楽」は、いまこそ日本中で議論すべき栄養分をたっぷり含んでいる。
 また、新日本音楽の活動に前後して、長唄の4世杵屋佐吉がおこした「三弦主奏楽」の試みも、大正8年(1919)の『隅田の四季』以来、驚くべき成果を次々にあげたのだが、ここにもいまこそ日本が考えるべき栄養分がしこたま注入されていた。加えてそこに、東京盲学校出身の山田流箏曲家たちの献身的な活動があった。
 こうした背景のなかに宮城道雄の作曲活動と器楽活動が位置するのだが、その影響はほとんど半世紀におよび、武満徹までを籠絡させるに足りるほどの起爆力をもっていた。洋楽邦楽を問わず、宮城の試みたことの影響のない日本音楽など、おそらくないといっていい。それとともに、これから述べるように、宮城道雄には余人を絶する感覚が研ぎ澄まされていて、それが音楽のみならず言葉にまで染み出してくるのでもあった。
 本書『雨の念仏』は宮城道雄のそうした隠れた一面を言葉にした最初の随筆集である。昭和10年に刊行された。

 ぼくの叔父に小川光一郎がいて、生まれついての盲人だった。のちに日本ヘレン・ケラー協会の会長のような仕事もしていたようだが、ぼくの子供のころはただの「メクラのおじさん」だった。
 その叔父が鋭い知覚力でデパートの5階の風鈴の音を1階で聞き分けていたり、「地下鉄の音ほどひどい音はない、あれは目に見えない音ばかりでできている」といったことを言っていたのを子供ごころにびっくりしながら聞いていた。
 宮城道雄の耳はそれどころではあるまい。だいたい耳なのか、見えない目が見ている能力なのか、わからないほどである。本書にもたいていの時計の時刻が当たったという話が出てくるのだが、こういう感覚があの音楽をつくりだしたのかとおもうと、やはり想像を絶するものを感じる。
 「軒の雫」という随筆では、田端の自笑軒に行く話が綴ってあるのだが、着いたときには雨がしとしと降っていたので、その雨の音が「昔の雨」のように聞こえて、さぞかし古い茶室のような部屋なのだろうと思ったというくだりがあって、ハッとさせる。帰りは女中が雪洞(ぼんぼり)をもって送ってくれたので、宮城はそれにさわらせてもらって、その温かさで玄関への露地の侘びた結構を観察するのである。
 こういう話がいろいろ入っている。宮城の音楽を聴くのとはまた別の味がある。
 あるとき素人のお弟子さんが変な音を出すので、箏にさわってみたら妙に冷たい。そこで近くの冷蔵庫にさわって、その箏の状態を測った。こういうことは、さすがにレコードをいくら聴いてもわからない。

 田辺尚雄・中尾都山・大橋鴻山らと伊勢神宮に参拝したときのことが書いてある。
 外宮に先に参ろうとして進むと、玉砂利に歩く人の数が見える。鶏が放してあるようだが、その鳴き声は里の鶏と変わらない。大きな杉の木があったのでさわってみると、その高さがわかる。しかしみんなからはその木をいくら下から見上げても、上の方は見えないということだった。鳥居をくぐるとあきらかに古代からの時間を感じた。
 内宮に参拝するときは五十鈴川を渡った。想像していた通りの流れの音だったそうで、あきらかに人為が入っていない自然音なのだそうだ。
 ついで神楽殿で神楽を聴くことになったのだが、周囲の参拝客が多くて御簾が降りた。とたんに神楽の厚みが薄くなった。無理に頼んで御簾を上げてもらい、神楽が周辺の神域に染みていく速度を感じていた。

 宮城は春の朝がとても好きらしい。南風が頬をなでる感覚が格別らしく、いつも仕事をする気になるという。「四季の趣」という随筆は、そういう宮城の独自の季節感が綴られている。
 春は昼過ぎに頬を照らす日差しに、遠くから省線の走る音が交じるのがよく、そこへ庭先のアブなどが羽音を入れてくると気分がさらによくなってくる。だいたい騒がしいのは嫌い。表通りを人声が動いていても、それを家の中で聞いて点字で本を呼んだりしている距離感が楽しいのである。
 また春は朧月がよくわかるという。そこへ春雨が柔らかく降ってきて月を隠したらしめたもので、雨垂れの音を聞きながら作曲に入っていく。
 夏は夜である。蚊遣の匂いと団扇の音がいい。夏は家々が窓や戸をあけるので、物音も広がっている。蚊の音さえ篳篥(ひちりき)
に聴こえる。
 さらにおもしろいのが扇風機の音だった。あの唸りには波の音がする。しかも、その波打際に一人で放っておかれたような寂寞の気分になれる。「時々私は、扇風機の音にじいっと聴き入っていることがある」。こんなことを綴ったのは、きっと西はオスカー・ワイルドだけ、東は宮城道雄ただ一人であったろう。

 夏は耳も暑くなる。カラスも言葉が多くなる。セミは言葉ではなく音楽を鳴らす。ただし、その音は日本中どこでもそうなのだが、ドの音とシの音しか鳴らさない。つまり半音ちがいの音楽だけを奏でつづけているのである。
 初秋になってすぐわかるのは風の気配というもので、そのとたんに空気の密度が澄んで、それをそのままうまく運ぶとこちらの頭も澄んでくる。作曲も秋にいちばん多くなる。
 秋も深まると、空をまわるトビが2羽でゆっくり掛け合うのがおもしろい。こういう感覚が満ちてきたら、夜長に虫の声を聞く。草ひばりなど引っ張るような音で、鉦たたきもスタカットのようで、馬追いも始めにシュッ終わりにチュッと羽根が動くのがおもしろいのだが、実は閻魔蟋蟀が平凡なようでいて、含みがあっていい。シの半音下がった音で鳴き始め、あとはラの半音を下げた鳴き方になっていく。これを聞いていると空気が冴えわたってきて、なんとも優しい気持ちになれる。
 こうして夜空に向かって、体というのか、頭(こうべ)というのか、自分の感覚の全貌をそこへ向けると、秋の月の煌々と冴えた光が見えてくるものなのである。そしてそのまま寝所に入ると、以上のすべてが繰り返し再現される。

 冬は蜜柑である。まだ出たての皮が堅くて、それでも撫でると光沢が指に伝わってくる蜜柑に出会うと、ああこれが冬だとわかる。しかも障子が閉め切られ、長火鉢に火がおこっている。意識はしだいに狭いものにむかって集中する。
 かくて冬が進むと、いよいよ寝床に入ったまま、不精をしたくなり、布団の中のおなかの上で点字をまさぐる。また、点字を打ちもする。寒ければ寒いほど、こういうときは奥のことを感じられるようになって、いい。こんな夜は決まって内声(ないしょう)が聴こえているもので、ふと、こんな音楽がほしいなと想像すると、それも向こうのほうから聴こえてくる。
 雪が降るのは、人々がいうように「しんしん」という音はない。けれども雪が激しくなってくると、細かい音が鳴ってくる。これは雨とちがってまことにおもしろい。積もった雪の上を人がさくさく歩くのも、よく耳を傾けている。それはまるで舟が艪を漕ぐ音なのだ。つまりは水が聞こえてきたわけなのだ。
 そのほか餅をつく音、屠蘇を祝う声、獅子舞の馬鹿囃子、節分の豆の音、物売りの声‥。
 こういうものをなくすようであれば、日本は必ずダメになる。日本の音楽というものは、こういうものと踵を接して育っていくものなのだ。

 ざっとこういう調子なのだが、いろいろ考えさせられる。これを昭和初期に綴っていたかとおもうと、その後の日本の軍靴の歴史の暗澹や敗戦後の民主主義の空騒ぎが何だったのか、宮城道雄の新日本音楽が忘れられてしまったことと同様の気分で、がっかりするような感情が押し寄せる。
 本書の最後には、標題に採られた「雨の念仏」という随筆が入っている。あまりに多忙だったので、土曜の夜に葉山の隠れ家に行ったところ、角の家で誰かが死んだらしく、大勢の弔い客が来ているという話である。とりあえず家に入ったものの、なんだか落ち着かない。
 そのうち差配のおばさんが来て、角の家の不幸がどのようなものだったかを話し始めた。そこに雨が降ってきて、「人間、金持ちでもあんなふうに死んだら、何にもならないわよねえ」とおばさんが話を続ける。一区切りがついたところで、おばさんが帰ると言い出すのを聞いたとたん、寂しくなってきた。もう少しいてほしいと言うと、おばさんの親戚の家でも不幸があったのでこれから行かなければならないのだと言う。
 誰もいなくなった家で雨の音を聞いていると、念仏が交じっている。さらに波の音や自動車の音が重なっている。
 なんという寂しい夜なのか。それが宮城道雄の「雨の念仏」だったという話である。

参考¶宮城道雄の文章は『宮城道雄全集』全3巻(三笠書房)にほぼ入っている。入手しやすいものには『春の海』(旺文社文庫)。CDは「宮城道雄作品大全集」全13枚組がビクター伝統文化振興財団から。ちなみに宮城は、レストランや料理屋で音楽が鳴っていることが大嫌いで、目明きはなぜ食べる音を味わうことをしないのかと、生涯、不思議がっていた。昭和31年、東海道線の列車から落ちて亡くなった。吉川英史に『宮城道雄伝』(新潮社)がある。

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