ユリウス・カエサル
ガリア戦記
岩波文庫 1942
ISBN:400334071X
Commentarii de Bello Gallico
Julius Caesar 紀元前1世紀
[訳]近山金次

 ちょうど50年前に、小林秀雄がこんなふうに書いた。
 ――ジュリアス・シイザアに「ガリア戦記」といふものがあるのは承知してゐたが、最近、近山金次氏の翻訳が出たので、初めて、この有名な戦記が通読出来た。少し許り読み進むと、もう一切を忘れ、一気呵成に読み了へた。それほど面白かつた。近頃、珍しく理想的な文学鑑賞をしたわけである。

 この近山金次氏の訳というのが本書である。ギボンの『ローマ帝国衰亡史』を読みたかった高校時代、ついでに読んだのが『ガリア戦記』であったが、ぼくも青春期の飢餓感や焦燥感もあったではあろうものの、たしかに一気呵成に読んだ。
 異和感があったのはカエサルが自分のことをカエサルと書いているくらいのことで、それにさえ慣れれば、むしろカエサルの眼と一緒になって蛮族の地を夢中に進むことができた。
 大人が喋る戦争話がつまらなくて、いったい戦記などに関心がむくはずもないとおもっていた高校生にとって、これは意外だった。その理由はいまでは確定すべくもないが、おそらくはキケロが「裸体であり純粋である」と褒めた文体にあったとおもう。カエサルはたしかに文章においても裸体だった。いわば小気味のよいドキュメンタリー・フィルムの名人芸を見ているようなのだ。ドキュメンタリーはまさに事態を裸体に写しているが、この戦記もほぼそのようなのである。

 それを小林が「近頃、珍しく理想的な文学鑑賞」とみなしたことは、40歳になっていた小林がそれまで読まされてきた凡百の文学主張にあきあきしていたときの感想だろうとおもっていたが、さきほど久々にページを繰ってみたところ、それほど大袈裟な感想でもないと感じた。和訳ではあるものの、やはり文体にキレがある。
 これはカエサルが偶然に書いたものではない。それは、カエサル自身がこんなふうに言っているところを知って判然とした。「文章は、用いる言葉の選択で決まる。日常使われない言葉や仲間うちでしか通用しない表現は、船が暗礁を避けるのと同じで、避けなければならない」。
 カエサルという男、計算づくなのだ。しかし、その計算は軍略から文体まで及んでいた。

 ガリアとは、イタリアから北でライン河より西の、いまでいう西ヨーロッパにあたる。われわれが「西欧」と呼んできたもの、その原型はガリアである。
 それゆえ、ガリアを知ることはその後1000年のヨーロッパの意味を知ることに同じうするものがある。その点でいうのなら、カエサルとオリゲネスが、もう少し正確にいえば、それにキケロとクムラン宗団とパウロとプロティノスが加わって、ヨーロッパ論の基礎をつくったのだった。
 そのガリアを、カエサルは「ベルギー人の住む地方」「アキテーヌ人の住む地方」「かれらの呼び方ならばケルト、われわれの呼び名ならばガリア人が住む地方」に分けた。このうち古代ローマが恐れたのは「長髪のガリア」と呼ばれたライン河の東の森に住むゲルマン人たちである。
 カエサルも蛮族としてのゲルマン人をマークした。しかし『ガリア戦記』を読むと、カエサルがゲルマンやケルトを征服の対象としてだけではなくて、民族として部族としてかなり正確に観察していたことがよくわかる。敬意すら抱いている。これだけでも、カエサルが単なる猛将でも侵略者でもなかったことが伝わってくる。

 第6巻第11節から、カエサルはそれまでの戦記記述を中断してゲルマン・ケルトの風俗の描写に切り替えた。
 ここが、いい。それまでのドキュメント・タッチの「政治の目」がレンズを取り替えたように「文化の目」に切り替わる。そこは文化人類学なのである。『悲しき熱帯』なのである。
 正直なことをいうと、ぼくにとってはここからのカエサルの数節の記述こそが残響して、その後もずっとゲルマンやケルトに対する憧憬ともいうほどの「未知への渇望」をもちつづけたのだった。そこは小林秀雄とは、ちょっとちがうのだ。
 とくに次の文章のような箇所が、かれらへの憧れを支えた。

 僧侶は戦闘に加わらないのが普通で、他のものと一緒に税金を払うこともない。その大きな特典に心を惹かれて多くのものが教育を受けに集まって来るが、両親や親戚から出されて来るものである。そこでたくさんの詩を暗記すると言われている。
 こうして或るものはその教育に二十年間もとどまる。その教えを文字に書くのはよくないと考えているが、他の事柄は公私の記録でギリシア字を使っている。私には二つの理由からそうなったものと思われる。その教えが民衆の中にもちこまれることを喜ばないのと、学ぶものが文字に頼って記憶の養成を怠らないようにしたいのと、二つである。

 うん、これはやはりレヴィ=ストロースなのである。決してイブン・バットゥータやマルコ・ポーロなのではない。そこに魂で攻めこんでいった者だけが見える感想なのだ。

 古代ローマ帝国の崩壊後、ゲルマンの神々とそれを奉じる神官や民衆の思想はヨーロッパ各地に流出していった。また、ゲルマン語こそがアーリア語と呼び替えられて、ヨーロッパの多くの言語文化の基底をつくっていったことも判明してきた。
 さらにそこからは、アーリア神話ともいうべき近代の装いが凝らされて、それらは何度も衣裳をとりかえてロワイヨーモン理論ともナチズムともトーマス・マンの文学ともなっていった。それらは元をたどればおおむねゲルマンの風俗であり、ガリアの気質だったのである。
 そのすべてがカエサルの『ガリア戦記』に宿り、胚胎しているわけではないが、そのすべては暗示されている。
 われわれはいまユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の文章と事歴を、シェイクスピアやバーナード・ショーのようにではなく、ジュール・ミシュレやレヴィ=ストロースのように読みたいものだ。

参考¶カエサルや『ガリア戦記』をめぐる本はおびただしい。けれどもここでは二つの書物だけを薦めたい。ひとつはエドワード・ギボンの不朽の名作『ローマ帝国衰亡史』(岩波文庫)、もうひとつは『ローマ人の物語 』に収録された塩野七生の力作『ユリウス・カエサル』である。カエサルを読むことはローマ人のすべての物語の発端を読むことなのだ。

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