オリゲネス
諸原理について
創文社 1978
ISBN:4423392097
Origenes
De Principiis 230ころ
[訳]小高毅

 上智大学神学研究所がわれわれにもたらしてくれたものは少なくないが、当時はまだ若かったフランシスコ会の司祭であった小高毅さんによるオリゲネスの本邦初訳は、とりわけ快挙にふさわしいものだった。
 実は困っていた。オリゲネスはヨーロッパ思想史のどんな書物の劈頭にもその名が出てくる教父であるのに、どうもその実像がわからない。「全ヨーロッパの思想はすべからくプラトンとオリゲネスの注解にすぎない」あるいは「ヨーロッパ2000年の哲学史はプラトンの註にすぎないが、ヨーロッパ2000年の思想はすべてオリゲネスが用意した」などと、ヨーロッパ思想史のどんな本の冒頭にも書かれているにもかかわらず、プラトンはともかくも、オリゲネスについては日本ではキリスト教の研究者をのぞくと、あまり語られてこなかった。
 日本ではプラトンばかりが肥大して、何十何百という拡張再生産がくりかえされてきたのに、オリゲネスがいっこうに伝わってこなかったのだ。たとえば、オリゲネスについではプロティノスがヨーロッパ思想史の主要舞台に登場するのだが、日本ではプラトンからプロティノスまでがひとっ飛びなのだ。
 いわゆる「世界の名著」的なシリーズにオリゲネスが採りあげられることもなかった。ルフィヌスによるラテン語訳が読める者はともかくも(あるいは英語版ですます勇気があればともかくも)、誰もが故有賀鉄太郎の名著『オリゲネス研究』に頼っていたものだったのだ。

 エウセビオスの『教会史』によれば、オリゲネスは2世紀のアレクサンドリアの人である。
 ここにはオリゲネス、アタナシオス、キュリロスらのすぐれたキリスト者が登場したが、アレクサンドリアがそのような古代キリスト者の最初の思想を生んだ意外性については、いまひとつ日本人にはピンとこないものがある。
 もともとアレクサンドリアは当時の世界最大の人工都市で、学芸都市であり、かつまた移民都市だった。そこにはマケドニア人とギリシア人とユダヤ人が密集していたといってよい。70万巻の書籍を収納した「ムセイオン」が完成したころには、だいたい100万人にまで膨らんでいた。
 そういう古代大都市にユークリッド、アルキメデス、アリスタルコスらが陸続と登場し、アリストテレス型の“学芸の贅”を尽くしたのは当然で、それこそがヘレニズムの牙城というものだった。『旧約聖書』のギリシア語訳(七〇人訳聖書)もそのころできあがっている。が、その成果をオリゲネスが受け継いだのではない。アレクサンドリアの学芸は紀元前でいったん衰退している。

 ようするにアレクサンドリアの繁栄と過熱はキリスト出現以前のこと、『新約聖書』到達以前のことだったのである。
 それが別の容姿をもって復活してくるのは、キリストとほぼ同世代のフィロンが登場したころ、ここにネオプラトニズムとグノーシス主義が芽生えてからのことなのだ。
 フィロンはユダヤ人であるが、この"復活アレクサンドリア"の人はユダヤ教というよりも、ネオプラトニズムとグノーシスに通じていた。フィロンだけではない。多くのヘレニックなユダヤ人はそういう趣向をもっていた。つまりは、ここにはまだキリスト教が進出していない時期、すでに異教異端の炎が燃え上がっていたということになる。
 2世紀、パンタイノス、クレメンス、オリゲネスを生んだアレクサンドリア教会が産声をあげたのは、こうした背景の中だった。オリゲネスがネオプラトニズムとグノーシス主義の渦中で「原点としてのキリスト教」を確立しようとしたのは、こういう事情と関係している。
 もっともオリゲネスはアレクサンドリア教会で活動をしたり、執筆をしたわけではなかった。カテキスタ(伝道師)に任命されてからは、自分で「ディダスカレイオン」を開いて、そこで参会者を集めて口述著述した。口述を始めたのが218年だったことがわかっている。
 ディダスカレイオンは学校というよりも塾である。オリゲネスは教会活動や学校での教授活動よりも、ディダスカレイオンでの口述を重視した。そのほうが性にあっていた。本当の思考は、アリストテレスもアウグスティヌスも、空海宣長もそうだったけれど、往々にして私なる塾から生まれるものである。

 こうしてオリゲネスの思索は聖書研究に傾注されることになる。ただし邪魔がいた。その邪魔によって聖書を字句通り読むことが妨げられていた。グノーシスである。
 これは手ごわい"敵"だった。おまけに、当時、グノーシスを根底批判できるキリスト者なんて一人もいなかった。
 いったいギリシア思想の究極の裏面をあらわしているのか、キリスト教に隠れた恐るべき神秘なのか、その真の正体をいまもって明確に指摘しえないグノーシスについては、ここでぼくが安易に説明するところではないのだが、一言でいえば、キリスト教をその叡知のかぎりの果てを追求することによって、逆にキリスト教の全体を内部崩壊させる刃を秘めているものと考えればいいだろう。内なる寄生者が外なる宿主を食いやぶりかねないもの、それが「知識」の両刃の剣としてのグノーシスだったのである。

 そこで、乱暴な言い方をするのなら、オリゲネスはそのグノーシスに全面対決すると覚悟した。そのために去勢までしたとも噂された。いわゆるオリゲネス閹人説である。
 こうした覚悟がオリゲネスに芽生えた理由はさだかではないが、おそらくはアレクサンドリアに新たな事件がおこったことと関係がある。215年前後のこと、カラカラ帝がアレクサンドリアを訪れた。このとき、学生たちがこのローマ皇帝に猛反発をした。怒った皇帝は学校を閉鎖し、学生を虐殺し、教師を追放しようとした。オリゲネスは知人たちの勧めで、このときカッパドキアに落ちのびたのだ。
 オリゲネスはカッパドキアで娘に救われ、さらにパレスチナまで赴いている。この逃亡と巡礼がオリゲネスを変えたのである。しかしそれとともに、グノーシスとの全面対決姿勢は融和されていた。グノーシスを採りこみつつも、キリスト教思想を確立しきってしまうこと、それがオリゲネスの目標になったのだ。のちにポルフィリオスが書いたように、その試みはヘタをすれば「外国の寓話にギリシアの理念を導入した」ともとられかねないものだった。
 しかし、オリゲネスは聖書に戻ってこれをなしとげた。そしてグノーシスからの摂取はあえて断片におさえ、さらに暗示にとどめるように工夫しきったのである。もっと正確にいえば(キリスト者の側からの言い方をすれば)、オリゲネスはグノーシスを本来の意味における「知識」(もともとグノーシスとは「知識」という意味である)として使える方法をつくりだしたのだった。
 もしこのような試みをオリゲネスが確立していなかったならば、その後のキリスト教思想もヨーロッパ思想もどうなっていたかはわからない。だからこそ、オリゲネスの試みは「ヨーロッパ2000年の思想の原点」と言われるにいたったのだった。最初の聖書神学の誕生だった。

 オリゲネスはその新たな知的拠点づくりの表現にあたっては3つのスタイルをとっている。スコリア(評注)、ホミリア(講話)、コンメンタリウム(注解)である。
 この方法は、グノーシスを捨てないでグノーシスに犯されないためにはすこぶる有効な方法だった。オリゲネス得意の編集術といってもいいだろう。こんなことができるのは、オリゲネスが若い日にプラトンやギリシア語に通じていたせいだとおもわれる。
 次に、キリスト教の神学的10原則ともいうべきを打ち立てた。小高毅さんの説明を借りつつまとめなおすと、ざっと次のようなものである。

1. 唯一の神が存在し、万物を秩序づけ、それ以前の宇宙の存在を準備していたということ。
2. イエス・キリストはすべての被造物に先立って処女と聖霊から生まれたということ。
3. イエス・キリストは人間の身体と喜怒哀楽をもちえたということ。
4. 聖霊が予言者と使徒たちに霊感を与えつづけたのであるということ。
5. 魂には実体と生命があり、この世を去ったのちには永遠の至福か永遠の罪業をうけるということ。
6. 死者には復活があり、そのときは朽ちない身体をもちうるということ。
7. そもそも理想的な魂というものがあり、それは自由意志と決断をもっているということ。
8. 霊には善なる霊とともに、それに逆らう悪なる霊があるということ。
9. この世はつくられたものであるゆえに、どこかで終末があるということ。
10. 聖書は神の霊によって書かれたものであるのだから、そこには隠された意味が含まれているということ。

 たしかにこれだけの10原則を打ち立てれば、だいたいの問題が入ってくる。唯一神を戴いたヨーロッパ思想の議論の多くがここから出ていることも見当がつくだろう。とくに10がグノーシスを意識したことである。
 こうして、オリゲネスはいっさいの神学的原点に屹立する最初の思想者となった。ヒエロニムスもアンブロシウスも、アウグスティヌスもロレンツォ・ヴァラもエラスムスさえも、すべてはオリゲネスが源流なのである。

参考¶本書は「キリスト教古典叢書」(創文社)というシリーズに入っている。いま16冊ほど刊行されていて、オリゲネスの著作が本書を含めて6冊翻訳されてきた。アウグスティヌス『主の山上の言葉』、レオ1世『キリストの神秘』、アタナシオス/ディデュモス『聖霊論』などはここでしか読めない。冒頭に書いたように上智大学神学研究所の献身的な仕事である。その後、オリゲネスをめぐる本が出始めて、小高毅の『オリゲネス』(清水書院)をはじめ、上智大学中世思想研究所による長大な「キリスト教神秘思想史」のシリーズ(平凡社)を頂点に、2000年紀を前にした欧米の数々の"キリスト教2000年もの"の翻訳もあいついで、いまではやっとオリゲネスを白昼で議論できるようになってきた。なお、かつてはこの1冊だけが頼りだった有賀鉄太郎の『オリゲネス研究』は有賀鉄太郎著作集・第1巻(創文社)に収録されている。

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