スタンダール
赤と黒|上・下
岩波文庫 1958
ISBN:4102008039
Stendhal
Le Rouge et Le Noir 1830
[訳]桑原武夫・生島遼一

 銀座みゆき通りに「ジュリアン・ソレル」という店があった。いまおもうとそうとうに洒落た店で、下はブティックで伊坂芳太良のポスターが飾ってあって、鉄パイプのちょっとだけアールデコな螺旋階段を上がると、珈琲が飲め、パンケーキが頼めた。
 みゆき族、エドワーズ、コットンパンツというものが流行していたころで、ぼくはそのころのガールフレンドの岩崎文江に連れられて、ドキドキしながら珈琲をがぶ飲みしたものだった。それからは一人でもよく行ったし、岩崎文江孃に丁重に振られてからは別の女の子を連れてもいった。とくに日生劇場でソフォクレスやラシーヌやらを見たあとは、日生劇場の地下の「アクトレス」に行くか、それとも「ジュリアン・ソレル」に行くかで、その日の気分の成果が決まった。

 『赤と黒』を読むことはジュリアン・ソレルをどう読むかということに尽きるけれど、その読み方で一番おもしろいのは宝塚的に読むことだ。
 それを右の端におくと、左の端には大岡昇平のような読み方がある。中間にはイポリット・テーヌのような読み方がある。ぼくは高校時代に右の端の"宝塚読み"をして、おおいに興奮した。親友の安田毅彦から「おまえ、ジュリアン・ソレルを気取るんじゃないだろな」と揶揄られたほどである。それかあらぬか、それから10年もたってレナール夫人ならぬS未亡人と昵懇になったときは、ふと安田の言葉を思い出した。S未亡人はふだんは静かな淑女だが、事にいたると信じがたいほどに激しい女性で、ぼくは這々の体で逃げ出した。結局、ぼくは"遅れてきたジュリアン・ソレル"にすらなれなかったということになる。
 しかし、44歳のころふたたび『赤と黒』を読んだときは、"宝塚読み"はしなかった。大岡昇平でもなかった。文章に酔ったのである。フローベールにも関心したが、スタンダールの文章にはもっと参った。44歳のころに再読する気になったのは、スタンダールが『赤と黒』を書いたのがちょうど44歳だったからである。そういう符牒はときどき読書を愉快にしてくれるものなのだ。スタンダールがこんなにも遅くに作家デビューしたことも、読んでいるとその理由が見えてきた。

 晩成作家になる前のスタンダールがそもそも何をしていたかは、詳細にわかっている。
 母親を早くに失い、イエスズ会の司祭が家庭教師になったためそれへの反発が生涯にわたる教権不信を募らせたこと、陸軍の軍人になりたかったのに連隊生活があまりに退屈なので退官してしまったこと、父親からの送金が大金だったのでパリに出て劇場通いをしたこと、メラニーという蓮っ葉な女優を愛人にしてマルセーユに遊んだこと、そうした愛人漁りは虚栄心を満たすためであったこと、陸軍経理補佐官に就くとカブリオレ(軽装馬車)を仕立ててコーラスガールと同棲を始めたこと、手当たりしだいに既婚の夫人を物色したもののたいていは首尾が悪かったこと、そして何といってもナポレオンに憧れて戦地に赴き、ナポレオンとともに失意に落ち込んだこと‥等々。
 これらのことは微に入り細に亙って語り尽くされている。むしろ1830年の革命でルイ・フィリップが王位に就いたころからのスタンダールの焦燥のほうがスタンダールを語るには、まだしも議論の余地がある。1822年に有名な『恋愛論』を発表するのだが、なんと11年間に売れたのはたった17部なのである。これでは焦る。処女作『アルマンヌ』もまったく無視された(この作品はたしかアンドレ・ジッドが絶賛しているはずだが、それは不能者が主人公になっているからだけの理由ではないかとおもわれるほどで、どうみても傑作ではない)。

 この焦燥で、スタンダールの矛盾だらけの性格がすべてにわたって噴き出た。
 情に動かされやすいがひどく内気で、仕事に熱中できるくせにそこに目的がなく、友人にするには楽しいが友人への敬愛はとんとなく、偏見に満ちているのにその偏見とは逆の見解が披露でき、自惚れ屋だがその自惚れによる成功率は極端に低い。ようするにまったくセルフコントロールができない男。
 このようなスタンダールの性格は、50代になって一気に書いた500ページにのぼる自叙伝のなかによく露出している。けれどもセルフコントロールができないからこそ、小説ではセルフコントロールが徹底されたともいえる。
 ただ奇妙なのは、日記も書き、自叙伝も書いたスタンダールが、物語については自分でプロットをどうしても創り出せないということである。『赤と黒』にしてからが新聞で読んだ実際の事件を借りている。
 これはおおむね定着した世評だが、バルザック、ディケンズ、スタンダール、ユゴー、メリメらはまさに並び称されていい同時代作家である。だが、そのうちスタンダールにはまったく創作能力が欠けている。スタンダールは頭の中にプロットが創れない。『パルムの僧院』も『赤と黒』も『リュシアン・ルーヴェン』も。
 にもかかわらず、スタンダールこそはこの3人のうちで最も独創的だった。
 なぜなのか。スタンダールは物語に対してではなく、自分自身というものに対し、他の作家よりずっと独創的であったのだ。そこはジェラール・ド・ネルヴァルにこそ近い。ただしその独創は、ネルヴァル同様に同時代にはほとんど理解されなかった。スタンダール自身も理解が得られるとはおもわなかった。
 けれども自信はあった。「ぼくの作品は1880年か1935年に読まれることになるだろう」と言っていた。それでよかったのである。それがスタンダールだった。

 同時代人からスタンダールが無視されたということは、ジュリアン・ソレルもまったく理解されなかったということである。スタンダールと親しかったメリメすら、あんな青年がいるはずがないと書いた。レナール夫人やマチルドも当時の世相のどこからも憶測のつかない人物だった。
 それにもかかわらずスタンダールがジュリアン・ソレルをあのように描きえたのは、いまではそれが「心理」のレベルで描かれたからだということになっている。当時は「心理」で物語を読むという下地が読者になかったという批評分析だ。
 そうでもあろうが、この批評はつまらない。スタンダールは「心理」というよりも、さしずめ「情理」とでもいうべきを書いた。そして、その「情理」にぴったりの、いわば「景理」を配した。そう見るべきなのである。そうでなければ文章が陶冶できなかったはずである。そうだとすれば、ジュリアン・ソレルはその「情理」の徹底であり、『赤と黒』はそのための「景理」なのである。

 そういえば、いまはうっすらとしか憶えていないのだが、ジュリアン・ソレルをジェラール・フィリップが演じた映画があった。レナール夫人はダニエル・ダリューだったと憶う。
 そのなかに、岩波文庫でいえば111ページになるのだが、ジュリアン・ソレルが森に入って巨岩の上に立つ場面がある。"宝塚読み"をしたころに印象にのこった場面で、ここでやっとお目当てのジュリアン・ソレルの野望が象徴されるところなのだが、そのときジェラール・フィリップの胸が大きく膨らんだ。蝉時雨がぴたりと止んで、眼下をハヤブサがゆっくりと旋回をした。
 ジュリアン・ソレルはそこでナポレオンになる決断をする。胸の膨らみはその象徴だった。いまふりかえると、ぼくがジュリアン・ソレルから甘受したものが何だったのか、この胸の膨らみだったのか、そんな気もしてくる。
 むろんこの膨らみは無惨に失敗して萎む。23歳で処刑されるのである。最後の最後まで、ジュリアン・ソレルの野望には革命も政治も理想もつきまとわなかった。つきまとわったのは女たちだけである。

 ついでながら、こんなところでジュリアン・ソレルと比較するわけではないが、ぼくにはいっさいの野望がなかった。
 中学時代に"哲学者"とか"天文学者"という将来がちらりと過ったことはあるが、ただそれだけだった。青年期、多少とも胸に描いたのは「できるかぎり表現が自由でありつづけられること」ということだった。
 けれども、『赤と黒』を再読したころにふと思ったことでもあったのだが、ぼくはジュリアン・ソレルとはまったく別の意味ではあろうが、女性たちの輝きのなかで自分が生きてきた、支えられてきたという実感がある。これは、かなり深いもので、ぼくの何かを象徴している。
 そこでまた思い出すのだが、ぼくにはかつて密かに決意したことがある。もし自分が学問をするのならば、3つの領域だけに限定しようという方針があったのだ。ひとつは「鉄学」である。これはひたすら「鉄」を相手にする。少しは書いた。もうひとつは「尾学」というもので、人間が喪失した「尾」を追いかける。尾っぽをトーテムとした故郷喪失論にあたる。
 そして3つ目の最後が「恋学」なのである。恋のかぎりを尽くそうというものだ。
 恋学はその後まったく手をつけていないが(ときどき「恋」について執筆を依頼されることはあるけれど)、もしそのような日が近くなってくることがあるのなら、きっとそのときがスタンダールを読む3度目の機会になるのだろうと、ふとそんなことを想ったわけである。

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