ランスロット・ロウ・ホワイト
形の冒険
工作舎 1987
Lancelot Law Whyte
Accent on Form 1954
[訳]幾島幸子

 現在、世界はばらばらに分裂している。「過去の伝統」と「現在の経験」と「生産的行動」の3つのバランスが崩れている。知の統合もなく、人間自身に対する適切な洞察も欠けている。
 こう、ホワイトは本書の終盤に「失望」を書いた。そう書いたのは1954年であるが、この「失望」はみっともないことながら、今日なおズバリあてはまる。こんなことになった理由はいろいろあろうが、ひとつには思考そのものが内的秩序を失っているのが大きい。思考が思考を覗けなくなってしまったのだ。
 では、なぜわれわれの思考は内的秩序を失ったのか。本書はそのことをめぐって、当時としては珍しくも専門領域をまたいだ自在な思索と推理を披露した。

 結論を先にいうと、われわれは「形」に対する思考を失ったのである。形態が生成されるプロセスに何があるかということに思索を集中しなくなったのだ。
 そもそも人間は象徴機能という独自の特徴をもつ動物だったはずである。多様な複雑な動向の中から任意のパターンを選び、それを別のパターンと比べることができ、それらの作業を通しながら、さらに新たなパターンを創出する能力をもっているはずだった。
 そういう能力を、われわれは分類癖や抽象癖をもちすぎて鈍くしてきた。おかげでどうなったかといえば、物質と生命と精神をまったく別々のものにしてしまった。あげくに、われわれは自分たちの「無知」を暴くことばかりに関心をもち、不満を述べたてることが理論であり、非難をすることが思想であるとおもいこんでしまうようになった。
 これはおかしなことだった。ホワイトは、このような事態に一石を投じるために、多彩な思索と活動をくりひろげた。
 ケンブリッジでの学生時代はラザフォードに物理学を学んだが、1925年にははやくも「調和的共働」(コーディネイティブ・コンディション)というコンセプトを提出し、ロンドンの理論生物学グループ(ニーダム、ウォディントン、バナール、ウッジャーら)に交わって、生命活動にひそむ動的で脈打つ原理の考察に向かっていった。
 こうした思索や研究をへて、ホワイトが到達したのが「形態にひそむ関係力」とでもいうものだった。

 本書には宇宙の話から脳の話まで、およそ科学にかかわる重大問題のいくつかがかいつまんで語られているのだが、今日の科学成果から見ると、宇宙科学・生命科学・脳科学の成果が乏しい時期に、よくもこれだけの推理ができたものかと驚くほど、実は貧しい知識にもとづいた推理ばかりが披露されている。
 その推理はいま見てもほぼ当たっている。いまから見れば本書に紹介されている科学知識は役に立たないものが多いのに、それらを素材にしてホワイトが将来を見通す見方は、いまなお説得力をもっているのだ。
 これはホワイトが既存の科学が見忘れてきた「プロセス」や「関係」という現象に着目し、それがたんに流れ去って見えなくなってしまうようなものではなく、実は生命体をはじめとする「形態」に創発しているのだということに焦点をおいたからだった。

 ホワイトが「形態」や「形」こそが自然と人間の間をつなげるすべての仮説の鍵を握っていると見なすまでには、多少の紆余曲折がある。
 当初、ホワイトは対称性と非対称性の問題にとりくんで、その思索の成果を『生物学と物理学の統一原理』にまとめた。1949年のことだ。ここにはホワイトヘッドやウォディントンやベルタランフィの影響がある。
 が、その主張は急ぎすぎていた。そこで物理学と生物学にまたがる「調和的共働」(コーディネイティブ・コンディション)というものに焦点を絞っていく。自然・物質・生命の各段階を特徴づけている全域的可変量に対するに、それを促しているとみられる局所的可変量のふるまいをとりあげ、その両者にコーディネーションがあるのではないかと見たのである。
 ここからホワイトは自在な展開をする。対称性の破れ目から自然界の全体を眺めわたすというような視点も出てきた。とくにダーシー・トムソンの業績を記念してホワイトが仕切ったシンポジウムが圧巻だった。これは工作舎から『形の全自然学』として翻訳出版されたが、ぼく自身がこの刊行にかかわって大いに影響をうけたものでもあった。トムソンは名著『成長と形態』によってホワイトやルネ・ユイグらの先鞭をつけた形態学者の泰斗である。
 こうしてホワイトは晩年を、その言葉づかいで説明するなら「形成的なるもの」(フォーマティブ)から「造形的なるもの」(モーフィック)のほうへと広げていった。それは、かつてゲーテが見たヴィジョンに近づいたとも見えた。

 本書はぼくが興した工作舎の書籍である。懐かしい。それなのに本書が刊行されるときは、みんなから文句を言われながら、ぼくはすでに工作舎を去っていた。
 翻訳をした幾島幸子さんは「スクールらくだ」の平井雷太君の旧夫人で、ぼくが『遊』をやっているころにいっとき工作舎に入っていた。ウォディントンの『エチカル・アニマル』を訳してもらったのも彼女だった。
 編集には米沢敬君があたった。米沢君は北大で鉱物学をやっていた青年で、ぼくが札幌で「遊撃展」をやったときの札幌側の主宰者の一人で、その後に工作舎に入ってきた。たいへん編集がうまい青年で、それは本書の見出しの立て方にもあらわれている。目次だけでも本書が読めるようになっているのは、さすがである。その米沢敬君も結婚をし、工作舎の古株になっている。

参考¶ホワイトの著書はたくさんあるが、ぼくが知っているかぎりの翻訳書は、『種はどのように進化するか』(白揚社)、ホワイトが編集構成をしたシンポジウム記録『形の全自然学』(工作舎)があるばかりである。絶筆になった『経験の宇宙』など、いつか読んでみたいとおもっている。1972年死去。

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