千谷道雄
秀十郎夜話
文芸春秋社 1958 冨山房百科文庫 1994
ISBN:4572001464

 いろいろ歌舞伎めく本を読んできたが、これを読んだときの驚きは、その後にはない。
 なんといっても扱った歌舞伎世界が、当時はごく一部の関係者以外は誰も知らなかった「三階さん」の舞台裏である。「三階」(さんがい)は梨園の隠語で大部屋のことをいう。そこは一種の禁断の園であり、影の王国なのである。本書はそこをほぼあますところなく白日のもとに曝した。
 こんな芸当を誰かができるなどと誰もおもっていなかった。期待すらなかった。看板役者にいくら聞いたって、影の王国のことはわからない。松竹や劇場の連中に聞いてもムダである。知っていても語りはしない。本書を成立させた希有な事情の重なりだけが、このようなドキュメントを奇蹟的に用意できたのだ。

 そもそも本書で裏話を話しつづけている中村秀十郎という「黒衣さん」が半端じゃない達人なのである。
 本名を鶴岡金太郎という秀十郎は、明治30年に神田多町の「かね万」という蜜柑問屋に生まれ、これが没落後は14歳のときに市川新十郎の門に入って市川新太郎の芸名をもらった。当然ながら端役もなく“馬の足”程度しかもらえなかったが、新太郎がついた師匠の新十郎が江戸気質の黒衣(くろご)の名人だった。
 いや、もともとは名優九代目団十郎の脇役上手で、次代を担うべき六代目菊五郎や初代吉右衛門の「お師匠番」でもあった。本書で知ったのだが、実は“馬の足”もなかなか難しいものらしく、新十郎は穂積重遠の『歌舞伎思ひ出話』で「日本一の馬の足」ともよばれているから、そちらも名人だった。
 また“隈取の新十郎”ともよばれていて、たいての役者が新十郎に隈取を頼んだ。ホマチ(臨時収入)も多かった。この腕前がそのまま消えるのはもったいないというので、これはのちに太田雅光の絵と組んで『歌舞伎隈取』という立派な全12輯になっている。ぼくも見ている。
 つまり新十郎は歌舞伎の一部始終を裏で動かせたのである。

 そこで新太郎は最初のうちは男衆(役者一人に雇われる立場)として、ついでは下廻りとして働く。
 下廻りのことをいまはひっくるめて名題下というが、実はこの下に上分(かみぶん)・相中(あいちゅう)・相中見習といった下っ端が分かれていた。この立場は厳密で、絶対に崩せない。新太郎はこの仕事を下から順に、見よう見まねで腕につけていく。そしてついに黒衣としての地位を得る。正式には「後見」という。

 後見とか黒衣といっても、そこにもいろいろ立場がある。
 紗の前垂れがついた頭巾に黒の筒っぽ、手甲脚絆をつけまわした例のお馴染み黒ずくめの衣裳をつけるとはかぎらない。
 いわゆる「黒衣」は丸本物では、『一谷』や『ひらがな盛衰記』のように水色を着付ける「波後見」と、『奥州安達原』や『本朝二四孝』に見られる白の着付の「雪後見」とがあるし、黒紋付と着付袴姿で所作事だけを後見する「着付後見」もある。
 ぼくも最初に気がついたときはなるほどとおもったが、歌舞伎十八番などでは立派な柿渋の裃衣裳で鬘をつけている。これは「裃後見」なのである。

 それだけでなく、黒衣はなんでもする。役者の準備のいっさいを担当し、芝居が始まれば板木を打ったり、法螺貝を吹いたり、鴉の鳴声もする。
 これも本書で知ったが、鴉の鳴き声ひとつも夕鴉・夜鴉・明鴉の三通りを演じ分けなければならない。四段目(忠臣蔵)の城明渡しのときの鴉は明鴉である。ある日、新太郎が体をこわして四段目の鴉の声をできなくなった。
 そこで七助(松田米蔵)という者に代わりを頼んだのだが、七助は夜っぴいて練習をしてみても、どうも明鴉にならない。「どうしてもお前さんのやるような、あの陰にこもった震え声が出せねえ」という。この七助は『忠臣蔵』のもうひとつの明鴉、有名なお軽勘平の道行幕切れで鳴く明鴉を担当しているのに、由良之助の城明渡しのときの寂しい鴉はできなかったわけである。
 同じ明鴉でさえ、声がちがうということなのだ。

 こうして新太郎は歌舞伎の裏表にしだいに習熟していくのだが、ところが師匠の新十郎が新太郎32歳のときに亡くなった。
 新太郎は兄弟子の新右衛門とともに初代中村吉右衛門にひきとられ、ここで名を中村秀十郎とあらためた。以来、吉右衛門に付きっきりの黒衣さんなのである。何でも知っている。

 秀十郎の話を引き出した千谷道雄の腕もただものではなくて、文章も構成も、実にうまい。感服させられた。昭和33年度の読売文学賞をとったというのも頷ける。
 著者の千谷は昭和24年に吉右衛門劇団に入って、そこで秀十郎に出会う。恐るべき封建主義に徹する梨園の一部始終がしだいに見えてきた。信じがたいほどの階級や差別も知る。しかし千谷はそれこそがいままさに失われていく伝統そのものであると見る。禁欲的に描写しているが、その伝統や因習をいとおしんでいるのがよくわかる。
 余談だが、ごく最近、玉三郎の付人が玉三郎の“暴挙”をあれこれ“告発”しようとしているらしい。が、これは付き人がおかしいのである。いったん男衆となれば、何がなんでも師匠は絶対なのである。それが歌舞伎のしきたりというもので、そのかわり芝居道というものは、一歩そこに足を踏みこんだら抜け出せない。
 早々に抜け出して勝手なことを言ってもらうためにあるものではない。せめて20年を越える必要がある。それで半人前、それから30年を越えてやっと一人前である。そこから先に競争があり、創意工夫があって、達人とか名人が待っている。

 そういうことを著者は、まことに抑制の効いた筆法で、かつ詳細に書きあげた。序文に志賀直哉が書いているように、歌舞伎のいいところだけでなく、「闇」も惧れずに描いた。
 相当の腕である。こんなに達者な書き手がその後はどうしているのかとおもうが、どうも吉右衛門亡きあとは八世松本幸四郎とともに東宝に移り、そのあとは演劇制作者となったようだ。『吉右衛門の回想』『幸四郎三国志』などの著書もある。

 ひとつ別な感想を書いておく。歌舞伎のことではない。
 近頃はこの手の本が妙に思い出されることが多くなってきたということだ。この手の本というのは、だいたい察しがつくことだとはおもうが、目立たないのに目だっている本に惹かれるという意味である。
 「千夜千冊」も書き継いできてそろそろ300冊が近くなってきた。ときおりどんな本を選んできたかということを手元の一覧表を見ながら考えてみるのだが、あれもこれも採り上げたいとおもいながらも、そこに何かが動いていることを感じる。
 が、その動いているものが何かははっきりわからない。そう、ぼくのこの千日修行にも秀十郎の黒衣のようなものが動いているらしいのだ。

コメントは受け付けていません。