アレックス・カー
美しき日本の残像
新潮社 1993 朝日文庫 2000
ISBN:4105262017

 アレックスとはしばらく会ってない。神田の聖堂で川瀬敏郎の花籠と篝火に照らされて大きな屏風に書をものし、終わって玉三郎らに囲まれて談笑した夜が最後だった。
 聞けば、もう日本には未練がないとか、日本はダメになったとか言って、タイへ行ってしまったという。その動きはぼくに親友の武田好史をおもわせた。武田とアレックスは友人で、二人とも“住み方名人”である。おもしろいところを見つけるとそこに引越し、好きなように改造してしまう。お金はかけないが、独得の見立てで住処(すみか)をつくる。
 とくにアレックスは場所探しが徹底して、日本に来て全国をまわりながら、結局は四国の奥地の祖谷(いや)に民家を見つけ、ここにはまだほんとうの日本があると確信して、そこに好き勝手な住処をつくってしまった。徳島県と高知県と愛媛県の境目にあるタバコの葉を唯一の産物とする秘境の一軒家であった。それが1973年のこと、130坪の土地代が38万円、家賃はタダだった。もっともこの土地代はその後の20年間でやく半分に下落する。バブルにさえ見放された土地なのである。
 エール大学で日本学を専攻し、オックスフォード大学で中国学を修めたアレックスは、孔子の「知者楽水・仁者楽山」を祖谷の自然に、「数寄の心」を日本の民家に求めて、この生活に挑んだのだった。本書はそのアレックスが祖谷、京都、東京、亀岡などの住処を拠点に、いまなお入手しうる「日本」をどのように求めたのかという闘病記である。闘病記というのは、「日本という病気」との正面きっての闘いといった意味だ。

 しかし、すでに本書の標題が「残像」なのである。アレックスが求め、辿りついた「美しい日本」がすでに残照で、その残照が日没してしまえば、アレックスは日本に失望するしかなかった。
 武田好史は日本を深いところや細かいところで見ているので、タイやベトナムに行っても、また帰ってくる。アレックスはそうではなくて、本書を書いていた当時から、ほんとうに日本に失望してしまったようだ。そういえば、最初に会ったときにもすでに失望を洩していた。
 岐阜で「織部賞」にまつわるシンポジウムに熊倉功夫や川瀬敏郎や田中優子らとともに来てもらったときも、「日本」への不満が噴出していた。その理由は本書を読めばすぐわかる。たとえば大宇陀の松源院は奈良の奥山で最もおもしろい塔頭であるけれど、これは1978年に大徳寺の大亀老師が庄屋を借りうけて改造したものなのだ。日本人は誰もこの「作分」に感応していない。
 たしかにアレックスの言うとおりである。ぼくも『日本流』『日本数寄』を1999年に著して、この問題にふれてみた。日本人は日本の見方を忘れてしまったのである。われわれは「歌を忘れたカナリヤ」になってしまったのだ。

 アレックスについては、玉三郎も司馬遼太郎も日本に残ることを勧めていた。しかし、アレックスは日本をあとにした。
 このことは必ずしも痛哭なことではないが、いかにも寂しいことである。裏千家にジョン・マギーという人物がいて、この人がつくる住処もすぐれた「作分」をもっていた。カナリヤに歌を蘇らせていた。ぼくも青葉台で催した「玄月會」に招いたことがある。けれども、そのジョンも20世紀末の日本を捨ててカナダに帰っていった。すでに何人ものアレックスが出ているのである。
 いやいや、べつだん外国人の目をもって日本に文句をつけようというのではない。アレックスも本書のなかで何度も書いているのだが、「観光になった京都や奈良に騙されてはいけません」「京風料理屋の琴を排除しなければいけないよ」「和風旅館の日本趣味がおもしろいのですか」「おばさんの茶の湯お花は日本なんかではないんじゃないか」ということなのだ。

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