フレデリック・ショット
ニッポンマンガ論
マール社 1998
ISBN:4837307337
Frederik L.Schodt
Dreamland Japan 1996
[訳]樋口あやこ

 ぼくはマンガは好きだが、そんなに読んではいない。えっ、けっこう読んでるじゃないですかと言われることもあるけれど、それはぼくがよほど堅物だとおもわれているせいで、量のほうはたいしたもんじゃない。
 そのことを証明するのに(別に証明しなくてもいいけれど)、次の数字をあげる。1995年のデータだ。第1に、日本の雑誌の総売上の40パーセントがマンガ雑誌であるということ、第2にマンガ本とマンガ雑誌の1年間の総販売部数は23億冊であること、第3に日本人一人あたり1年に平均15冊のマンガを読んでいるということ、である。
 いったいぼくが1年平均どれくらいマンガを読んでいるのか、かつて多いときは50冊とか70冊を読んだ記憶もあるからなんともいえないが、1冊も読まない年もある。だから平均すれば3冊から5冊というところで、これは平均日本人を10冊も下まわる。
 というわけで、ぼくはマンガが大好きなわりにはマンガに忠誠を誓っていないという程度の不埒な読者ということになるのだが、これがアメリカ人となると、日本マンガにとりくむにはものすごい格闘技的な挑戦意志が必要だということになる。本書の著者はそれをほぼ貫徹し、日本マンガに対する欲望をあらかた満願成就した希有な人である。
 その著者がどのように日本のマンガを見ているかということをかいつまんで紹介する前に、アメリカのマンガと日本のマンガの最大のちがいを一つあげておく。それは「長さ」というものだ。だいたいアメリカのマンガ雑誌は30ページか50ページ程度、その中に連載はせいぜい一つ、しかも月刊で2ドル以上する。これに対して日本は400ページで週刊、しかも連載だらけになっている。

 さて、本書はこの手の本にしては意外な大著。いっぱいいろいろな指摘・分析・推理・紹介がつまっている。その大半の情報はぼくがこの本で初めて知ったというものが多かった。
 たとえば600ページ130万部の「コロコロコミック」のスローガンは「勇気・友情・闘志」と決まっているらしい。500万部の「少年ジャンプ」の読者アンケートによる3大キーワードは「友情・努力・勝利」らしい。なんと、ほとんど同じなのである。そうだとすれば、2誌をよんでいるかぎりは少年犯罪などおこりそうもないのだが……。
 同性愛で押す「June」(ジュネ)はその成功を次々に分岐させて、「小説June」「ロマンJune」「コミックJune」と分化した。なぜ同性愛マンガがあたるかは、この路線をつくってきたサン出版の佐川俊彦が明言している。「男同士の恋愛もの、実はキャラクターが女性が望む男性像と女性をミックスしてある。このようなキャラクターには、女性が女の欠点だとおもっている嫉妬深さなどを取り除いてあるんです」。ふーむ、なるほど。
 何? そんなことは知っている? では質問。少女マンガ誌は何冊出ているか、成人用レディスコミック誌は何冊出ているか。答えは、1995年時点で、前者が45誌、後者が52誌。ものすごい量である。どうだ、驚いたかね。
 マンガ家もぞろぞろ出てくる。著者がとくに注目しているのは次のマンガ家である。あれこれ解説されてはいるが、一言だけ加えておいた。 

杉浦日向子日本絵画の伝統的継承者)
湯村輝彦(アメリカもどきを成功させたヘタウマ・アーティスト)
井口真吾(陰影のない無の庭に住むZ-CHANで無機的な小宇宙をつくった男)
蛭子能収(本当に常識を知らないマンガ家の皮肉な力)
花輪和一(不気味なシュルレアリストの日本回帰の怪奇)
やまだ紫(マンガをフェミニンな詩文学にしてしまった才能)
丸尾末広(無残絵の伝統をうけつぐ悪夢を描くレトロアート)
かわぐちかいじ(歴史的必然を追求する物語作家がつくる緊張)
成田アキラ(テレクラ専門マンガから超愛哲学を生むセックス魔)
内田春菊(自分の人生を隠しだてせずに日本社会の弱点をえぐる柔らかい感性の持ち主)
水木しげる(婆やと戦争からすべてを学んだ妖怪戦記作家)
山岸凉子(歴史をすべて同性愛の謎の関数にしてしまえるストーリーテラー)
岡野玲子(仏教も陰陽道もこの人によって陽性分化に変貌した)
秋里和国(感動作「TOMOI」でゲイエイズを先駆した)
青木雄二(欠点だらけの主人公を成功させた「ナニワ金融道」)
つげ義春(不条理なカルト・マンガを描きつづける日本のウィリアム・バロウズ
吉田秋生(ベトナム戦争を全14巻のアクション・ミステリーの大長編にできたのはこの人の麻薬のような力だけ)
森園みるく(自分では絶対にストーリーをつくらないエッチマンガの谷崎潤一郎)
藤子不二雄(オバQとドラえもんだけでアメリカのマンガ量を抜く二人怪物)
土田世紀(マンガ編集の舞台裏にメロドラマを加えた禁じ手の人)
小林よしのり(「東大一直線」と「おぼっちゃまくん」を捨てて作者の演説台をマンガに取り入れた「あぶない男」)
手塚治虫(他者に対するコミュニケーションの秘密を掌握した限りないクリエーター)
宮崎駿(原作「ナウシカ」のラストこそこの作家の思想である)
石井隆(女の秘密をハードボイルドに実写する天才)
大友克洋(ついにアメリカを制圧した未来不能哲学の王)
士郎正宗(アメリカ映画とSFXが最も影響をうけた作家)

 本書の議論はゆるやかなものが多い。あまりに日本マンガを愛しすぎたためだろう。これは何かに似ている。どこかわれわれの近くにある感覚に似ている。
 やっと気がついた。これは、日本人がセザンヌやシャガールやミロを見る目に、またはゴダールやジム・ジャームッシュやタランティーノを見る目に近いものなのだ。著者はその該博な知識をもって、次は日本人が見るバスキアやハンス・ベルメールの目付きになってもらいたい。

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