デレク・ジャーマン
ラスト・オブ・イングランド
フィルムアート社 1990
ISBN:4845990865
Derek Jarman
The Last of England 1987
[訳]北折智子

 日本でデレク・ジャーマンの作品を公開しつづけてきたのは浅井隆さんである。『ザ・ガーデン』ではプロデューサーも引き受けていた。デレクがエイズ・キャリアーであることはよく知られていたので、そのたびにわれわれはハラハラしていた。

 デレク・ジャーマンの映像は『ジュビリー』(1978)で決定的にぼくを侵食した。
 それまで『セバスチャン』(1976)や『テンペスト』(1979)などを断続的に見ていたが、このエリザベス朝を代表する占星術師ジョン・ディーと天使アリエルが、道化の小人たちと未来のロンドン(キングス・ロード)を訪れると、そこはパンク・ファッション乱れ交じる暴力と略奪のデカダンの日々だったという映像は、若者の感覚さえ裏切ったものとして心に響いた。
 ジャック・スミスをニューヨークに訪れたとき、すでにデレク・ジャーマンの名はとどろいていた。『インタビュー』の編集長のアンが「デレクに会いたい?」と聞いたから、「もちろん」と答えたが、そのときは電話してみたらロンドンに帰っていた。

 本書は映画『ラスト・オブ・イングランド』の記録であり、イメージ・シナリオであり、そしてエッセイでもあるのだが、「今朝、私がエイズのキャリアーだと告げたその若い医者は、沈痛な表情をしていた」といった文章が随所に挟まれる。
 あなたはエイズよ、と言われたデレクは「心配しないで、これまでだってクリスマスは好きじゃなかったから」と医者に微笑んでいる。デレクはそのときお気にいりの薄黒いオーバーコートを着ていて、数週間前の父の葬儀にもこれを着ていた。そして、自分が病院でエイズを宣告されることを、すでに予感し、覚悟していた。
 この話はぼくの胸をつまらせたものだが、デレクはその足で文房具屋に立ち寄り、二つのものを買っている。ひとつは1987年の日記帳、もうひとつは遺書を綴るための深紅の書式用紙である。
 こういう場面が次々にあらわれる本書は、おそらくデレク・ジャーマンの数多い記録のなかでも、最も象徴的な一冊となっているはずである。

 1946年、デレクは軍人である父にともなってイタリアに引っ越した。そこで門番小屋の老女にかわいがられ、その孫のデヴィッドと無邪気に親しくなる。デヴィッドがデレクの最初の“恋人”になった。
 数年たって、デレクはイギリスの寄宿舎に入り、ある夜、別室の9歳の少年のベットに上ったというだけで学校側から糾弾される。遊んだだけだったのに、デレクは全校生の前に引き出され、恥辱を受けた。デレクは孤立し、夢見がちになり、絵や草花を相手に遊ぶ少年となり、ほかの生徒とシャワー室や個室などで一緒になると、かえって嫌悪をおぼえるようになっていた。
 こうしてデレクは「子供の魂」を失ったのだ。ニーチェの「童子」を捨てたのである。デレク自身は、13歳から18歳まで、いっさいの性的な出来事から無縁になってしまったと綴っている。
 寄宿舎を出ると、毎日、家からロンドンのストランド街まで列車で通学するようになった。ある夕方、一人の会社員がデレクに性器を露出して見せた。デレクはそのようなことをされる自分に嫌気がさすのだが、その夏ヒッチハイクをしていたとき、ある男の車に乗り、そのまま襲われた。4時間にわたる“格闘”のすえ、泣きじゃくったデレクは自動車の外に放り出された。

 1962年、20歳になったデレクはロンドンで一人暮らしをはじめ、キングス・カレッジでアレン・ギンズバーグの詩『吠える』を読んだり、ウィリアム・バロウズに夢中になったり、ニコラウス・ペブスナーのもとで建築を学んだりするうちに、自分と同じ感覚の持ち主が世の中にいることを確信する。
 探しさえすれば自分の同類がいるのだということは、デレクを行動的にさせた。デレクが見つけたのは神学部の学生で、日曜日になると彼に会いたい一心でブルームズベリーからベスナル・グリーンまで歩いた。
 それでもデレクは男を知らなかった。22歳になったとき、旧友の家に泊まった夜に、その旧友の年上のカナダ人の友人がデレクのベッドに入ってきた。ロンというその男はデレクを求め、デレクはついに溜まっていたものを爆発させた。初めて男を知ったのだ。
 が、翌朝、男は消えた。デレクは煩悶し、ウィスキーを煽り、ハサミでそれまで描いた絵をメッタ切りにした。

 1964年、デレクはアメリカへ行く。映像の冒険のためではない。ロンに会うためである。
 すかんぴんでニューヨークに着いて、デレクは安宿ニッカーボッカー・ホテルに泊まる。何をどうしていいかわからないので、ロンドンで知り合った聖職者に電話をし、落ち合った。二人でイエローキャブに乗ると、すぐさま聖職者はデレクを抱きすくめ、その夜は誰がデレクと寝るかという聖職者たちの「聖なる飽食」の晩になった。デレクは強姦・輪姦まがいの夜をほうほうのていで逃げ切るのだが、かれらは許さない。ついに脱出してグレイハウンドに乗ってロンの住む町に行く。
 ロンと安心しきった恋をしばらく満喫したあと、デレクはサンフランシスコに立ち寄り、ロンドンでは発禁だったバロウズの『裸のランチ』などを買いこむ。
 ふたたびロンドンに戻ったデレクは、いよいよ新たな世界と交信しはじめた。デヴィッド・ホックニー、パトリック・プロクター、オジー・クラークと交流し、「ラ・ドゥス」「コロニー」「スープポット」などのクラブに出入りした。いわゆるモッズ・カルチャーのメッカである。
 こうしたなか、デレクは絵画があまりにも限定的で、自分の世界を表現するには限界があると感じ、しだいに映像作家になる決断をしていく。それとともに、デレクの内部に巣くっていたゲイ・カルチャーが頭(こうべ)を擡げ、その感覚を裏切らないことを誓うようになる。

 エイズが発覚してからのデレクには、さまざまな恐怖が忍びよっている。デレクはそれを「黒い死の恐怖」とよんでいる。ペストに擬した黒死病のイメージである。
 その恐怖は「厳然たる存在」をもって突然にやってくる。そうなるとデレクは一晩中、爆風に見舞われる。これまで抑えこんできたすべての感情が吹き上げてくることを、デレクは呆然と凝視し、そして戦慄する。
 本書にはそうした恐怖の細部は報告されてはいない。しかし、その恐怖を映像に高めるためのイマジナリー・エフェクトがどういうものであるかは、さざまな映像言語によって指摘されている。そもそも映画『ラスト・オブ・イングランド』が、デレクの病とその解放のための集大成なのである。どこかでご覧いただきたい。そこにはぼくのカケラも入っている。

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