エドウィン・ハッブル
銀河の世界
岩波文庫 1999
ISBN:4003394119
Edwin Hubble
The Realm of the Nebulae 1936
[訳]戒崎俊一

 いま新聞やテレビでハッブルという名前が出てくれば、それはたいてい宇宙を飛んでいるハッブル宇宙望遠鏡のことである。刻々とすばらしい宇宙の光景が送られてくる。が、ぼくの時代は、ハッブルといえば「ハッブルの法則」か「ハッブル定数」のことを意味していた。
 そもそもエドウィン・ハッブルが天文学の中央舞台に登場したのは、宇宙像をめぐる次のような事情によっていた。今日の宇宙像の基本原理をめぐる劇的な仮説交代劇である。

 ごくかいつまんで説明することにするが、まずはアインシュタインが1917年に提唱した一般相対性理論を宇宙像にあてはめようとしたところから、いろいろな仮説があらわれた。
 当のアインシュタインは最初の自分の方法ではどうしても「潰れてしまう宇宙」しか出てこないので、これはおかしいと思ってしまい、わざわざ“宇宙項”λ(ラムダ)というものを付け足した。引力だけがはたらく宇宙は潰れてしまうので、そこに斥力を導入してしまったのである。これを「静止する宇宙」「閉じた宇宙」あるいは「アインシュタインの閉じた宇宙模型」という。
 しかし「静止する宇宙」とか「閉じた宇宙」というのはいかにも怪しい。アインシュタインはどうも自分の方程式の扱い方をまちがえたのである。自分の方程式というのはアインシュタイン方程式とよばれるものをいうのだが、それなら他の方法でこの方程式を解けばなんとかなるのではないかという機運が天文学者や天体力学者や数学者のあいだに出てきた。
 そこへオランダのド・ジッターが膨張宇宙の解がありうることを発表、実は「運動する宇宙」のほうがほんとうの姿ではないかと言い出した。これが話題をさらった。有名な「ド・ジッターの宇宙模型」である(稲垣足穂の『遠方では時計が遅れる』や『僕のユリーカ』はこの宇宙模型へのキラキラとした憧れで綴られている)。

 ところが、ド・ジッターの宇宙模型は物質が何もない“真空の宇宙”であることがわかってきて、これは単なる数学上の解にすぎないと言われはじめた。
 物質のない宇宙というのはありえない。案の定、1923年にアレクサンドル・フリードマンがアインシュタイン方程式に新しい解を見つけた。これは“物質の詰まった宇宙”であった。これで「運動する宇宙」に大勢は傾き、いよいよその証拠捜しが始まったのである。
 このとき、古代ギリシア以来の華麗なアンドロメダ伝説をひっさげて登場してきたのがエドウィン・ハッブルだった。
 ハッブルは1917年に完成したウィルソン天文台の口径2・5メートルの、当時は「お化けのようにばかでかい」とよばれた天体望遠鏡を徹底駆使して、星雲の観測をしていた。本書にも報告されているのだが、やがてそのなかからアンドロメダ星雲にセファイド型変光星があることを発見、その周期と絶対光度の関係から、アンドロメダまでの距離を75万光年と推定した(現在は230万光年くらいと考えられている)。
 この発見が新しい宇宙像にとっての大事件だったのである。75万光年という距離は当時想定されていた銀河系の大きさをはるかに越えていたからだ。これで、アンドロメダ星雲は銀河系の外にある天体だということになっていく。

 こうしてハッブルの発見は、宇宙の一角は実は星が1000億個クラスで集まった銀河でできていること、宇宙にはそのような銀河がいくつもあるはずだということを告げた。本書の『銀河の世界』とはこのことを高らかに象徴するタイトルになっている(文章も誇りをもった高らかさに満ちている)。
 もっとも話はこれだけでは終わらない。アンドロメダ星雲のスペクトル観測を続けていたスライファーが、その“光のドップラー効果”の大きさから視線方向の速度を綿密に計算して、アンドロメダ星雲は秒速100キロの早さで近づいているのではないかと言い始めたのである。
 それだけではなかった。アンドロメダ以外の他の星雲の大半はわれわれから遠ざかっているのではないかとも推測した。では、なぜ遠ざかっているのか。そんな証拠が地上から観測できるのか。
 ここでふたたびハッブルが登場する。ハッブルはスライファーやフマーソンの視線速度の方向に注目して、互いに独立していそうな銀河のセファイド型変光星の周期を詳細に調べあげ、この二つの観測を結び付けることをおもいつく。こうして到達したのが「ハッブルの法則」だった。すなわち、われわれが見ている銀河の大半はわれわれから遠ざかっている、その速度は距離に比例する、という法則である。
 ハッブルの法則を満足させる解釈はひとつしかなかった。それは宇宙は一様に膨張しているということだった。膨張宇宙論の確立である。

 以上の宇宙像をめぐる劇的な交代劇は本書の第10章でもハッブル流に集約されている。が、本書が読みごたえがあるのは、そこまでにいたる観測結果による仮説の組み立て方にある。
 いまではすっかり定説になったビッグバン理論に走る前に、エドウィン・ハッブルに堪能したい。

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