市古貞次・浅井清・久保田淳・篠原昭二・堤清二ほか編集
日本文化総合年表
岩波書店 1990
ISBN:400001675X

 いい年表というものは、意外に少ない。しかし、どんな年表もそれなりのファクトチェックさえしっかりしているかぎりは、役に立つ。とくに、仏教史や建築史や飛行機開発史といった個別史の年表は、どうしても座右に欠かせない。
 いったいぼくがどのくらいの年表をもっているか、実は数えたことはないのだが、おそらく100冊は越えているだろう。この『千夜千冊』でも、できれば10冊ほどの年表を紹介したいのだが、紹介したい書物は浮塵子のごとくひしめいているので、残念ながらその隙間はないかもしれない。

 ぼく自身もそういう積年の“年表フェティシズム”ともいうべきが募って、『情報の歴史』(NTT出版)をつくった。
 これは自分のノートを何冊にもまたがって書きこんできた世界年表のエチュードをもとに、これを一挙に膨らましたもので、その作業とチームワークがそのまま「編集工学研究所」というエディトリアル・スタジオを生んだほどだった。
 『情報の歴史』はぼくが言うのも何なのだが、まさに前代未聞・空前絶後の年表である。世界史と各国史と日本史とを完全にまぜこぜにしたのを筆頭に、年表の中にヘッドライン(見出し)を3段階にわたって入れたり、いわゆる欄組にトラック変更をつけたり、実にさまざまな工夫をしてみた。まあ、当時のぼくの年表への思いを結実してみたもので、おかげで、その後はこれが全面デジタル化され、多彩な検索機能とビュー機能をもった「クロノス」というシステムになっている。

 本書は、ぼくが日本文化史に没入するようになってから刊行された総合文化年表で、それ以前に同じ出版社から刊行された『近代日本総合年表』の姉妹編になっている。
 構成は単純である。まずヨコ組。タテの共通オーダーに西暦・和暦年号、天皇・院政・摂関・将軍の欄がある。事項はタテに政治・社会、学術・思想・教育、宗教、美術・芸能、文学、人事、国外の6つ各トラックが仕切られる。これらに編年順に項目が並ぶのは、ごくごくふつう。
 ただし、事項がかなり詳しく、すべての事項に月ないしは月日が明示されている。もうひとつ、よくある年表は一人の人物の業績や一つの事件を何度も追ったりはしないのだが、この年表では、次々に出来事の連鎖が見えてくる程度に連打させている。そして、なんといっても信頼性が高い。また索引が充実している。これはたいへんにありがたい。
 構成内容はそのようなことだが、ではこのような年表をどのように活用するかである。年表は頻繁につかえばつかうほど、まるで歴史そのもののように生きてくる。ぼくが勧めるのは次のような活用法だ。一言でいえば、年表を汚すこと。

 まず、年表はゆっくり読むことが重要である。調べるときに見るだけでは年表の特徴はほとんどわからない。
 だから、適当な入手をしたらできるだけ早い時期に最初にゆっくり読むのがよい。そうすると、その年表の特徴がぼんやり見えてくる。それでがっかりするようなら、その年表は使わないで、参考用にするほうがいい。
 次に、自分が関心のある年代を詳しく読む。たとえば本書なら文学欄の昭和前期をよく見るとか、美術欄の桃山期をよく見る。できれば数ページにわたって読みたい。そうすると、自分の知識のレベルと年代が提示している知識の交差点が次々に立ち上がってくる。こうして年表と自分との“関係”をまだ漠然としたものでありながらも、立体的にしておく。
 ついで、ある事項を選んで年表の中を次々にスキップする。たとえば彫刻が好きなのであれば、何か関心のある彫刻の事項をひとつ選んでは、そこから編年順に関連事項を拾っていくのである。これをいくつかの事項でスキップしてみる。このとき、できれば鉛筆・マーカー・ボールペンなどで軽いアンダーラインを引いていくとよい。これは、年表の中にナビゲーショナル・フラッグを立てていくことにあたる。
 ここまでが、準備活動にあたる。こうして、いよいよ必要に応じて年表を使う。そのとき、利用のたびに検索した項目には必ずアンダーラインなどのマーキングを入れるようにする。ただし、その程度では年表は生きてはこないので、ある一日を決めて、マーキング大会を開く。何をするのかというと、マーキングの種類を決め、これによって片っ端からマーキングをしていくのである。たとえば色で分ける、かこみの仕方(マルク囲む・四角くかこむ)で分ける、記号をつける。その約束事を自分で決めて、年表を次々に汚していくのである。
 こうすると何が見えてくるかというと、自分なりの年表構造というものがうっすら見えてくる。

 多くの年表は見開きページでひとつのページネーションの単位をつくっている。これをダブルページの単位という。
 年表を活用するには、このダブルページ単位で、そこに情報的な図形のようなものを立ち上がらせるのが、いちばん躍動的になる。そうでないと、年表は読みにくい。全体がグレースペースのようにしか見えない。そこで、年表のダブルページを自分の部屋の中のようにしてしまうのである。それなら目印がいろいろあるので、すばやく検索できる。検索できるだけではなく、もともと歴史の中にひそんでいた構造が浮上する。
 実は、このような手順は、年表を作成する編集のプロが準備のときにやっている作業なのである。いまはワープロやパソコンで入力するが、かつてはすべて手づくり。たくさんの史料をコピーを取って別々に並べ、それに色分け、ファイル分け、マーキング分けをして、年代順・トラック別にする。こうしていくなかで、ゴミの山のような年表事項がしだいに構造をもっていくのである。実はファイルごと、色分けごとヘッドライン(見出し)もつけてある。
 ところが、世の中の年表はそこで活版化あるいはオフセット化するにあたって、表組にしてしまう。パソコンでいえばエクセルにしてしまう。これですべての情報がフラットなXY軸と羅列に置きなおってしまうのだ。『情報の歴史』はこれらのプロセスを殺さないで生かしたわけなのである。
 ぜひ、愉快で痛快な年表のカスタマイズをたのしんでいただきたい。年表、それは歴史の沈黙に対して自分で声をかけられる生きたアニメーションなのである

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