フリードリッヒ・マイネッケ
歴史主義の成立
筑摩叢書 1967
Friedrich Meinecke
Die Entstetehung des Historismus 1936
[訳]菊盛英夫・麻生建

 カール・ポパーは「歴史主義の貧困」といった。このとき歴史主義という思想用語が
historism(ドイツ語では Historismus)から historicism に変わった。
 ポパーはいろいろ歴史主義の限界を指摘するために、わざわざ“敵”の特性を呼び替えてみせたのだが、これはマルクス主義者が相手のマルクス主義者と自分たちを区別するために、修正社会主義とか社民主義といった言葉を“用意”するのに似て、ぼくには余計なお節介のような気がする。

 文句があるなら無視してよいはずなのである。
 無視できないのは、結局はその“敵”の努力や発見に多大な影響をうけてしまったからなのだ。
 それを隠して、いやいや自分はそいつの意見にはこういう不満があるのだということをうそぶきたがるのが、学者たちの記述のクセになりすぎた。これは不幸なことだった。

 学問の世界にはしょっちゅうこういうことがおこっているので、読者を困らせる。
 そんなことばかりがくだくだ書いてあるので興ざめになる。学者以外の読者のほうが世の中には多いに決まっているのに、そういう読者のことなど、めったに配慮されてはいない。
 もともと出版というものが、ロンドンのロイヤル・アカデミー誕生このかた、ながいあいだ学問の発表の場であったからである。それも、自然科学書がそういうスタイルを開発したものだった。それを他の分野も真似しすぎたのである。自然科学は厳密な検証を争う必要もあるから、“敵”の限界をあげつらうのはいいとしても、社会思想や歴史思想がそれをやるのは、決しておもしろいものじゃない。

 ぼくがマイネッケの著名な本書を読んだのは、以上のような学問の正統性をめぐる議論など、まったく知らないころのことだった。
 そこで、ただひたすらに、次々に登場する「歴史の中の思想家」たちの思索の跡の叢林に立ち入って、これはこれはと堪能したものだった。そういうふうに(いわば少年のバッタ取りのように)、この本を読めた季節がなつかしい。

 さて、本書は上下あわせて10章になっている。その構成を見れば、だいたい何を叙述しようとしたかはわかるであろう。こんなふうなのである。

  1.先駆者たち
    1 シャフツベリ 
    2 ライプニッツ
    3 ゴットフリート・アルノルト
    4 ヴィーコとラフィトー
  2.ヴォルテール
  3.モンテスキュー
    1 ブーランヴィーユ
    2 アベ・デュボス
  4.フランスの歴史的思考
    1 テュルゴーとコンドルセ
    2 ルソー
    3 ゴゲ
    4 ブーランジェ
    5 ド・ラ・キュルヌ・サント・バレー
    6 マレー
    7 マブリ
  5.イギリスの啓蒙主義
    1 デビッド・ヒューム
    2 ギボン
    3 ロバートソン
  6.イギリス前期ロマン派とファーガソン、バーク
    1 トーマス・グレー、ホラス・ウォルポール、
      ブラックウェル、ラウス、ウッド、ハード、パーシー
    2 アダム・ファーガソン
    3 エドマンド・バーク
  7.ドイツ運動序説、レッシングとヴィンケルマン
  8.ユストゥス・メーザー
  9.ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー
    1 初期
    2 1774年の『人類教化のための歴史哲学』
    3 80年代の『人類の歴史哲学のための理念』
    4 晩年期
  10.ゲーテ
    1 伝記的考察
    2 体系的考察
 付.レオポルド・フォン・ランケ

 こうなっている。
 これは18世紀の思想の流れが俯瞰されているわけである。それを、当時の思想家たちがどのように「冷笑的な理性」に対抗し、どのように次代へ継承させようとしてきたかという視点で描出してみせた。大著であって、問題作だった。
 ただし、さきほどものべたように、当時のぼくにとっては、これらのめくるめく思想群像に一挙に出会えたことそれ自体が最大の収穫だった。なにしろヴィーコもヘルダーもバークも、この本で初めて出会ったようなものだった。
 それも、ヴィーコをラフィトーとの内在的な比較において知り、バークをルソーと社会的に比較することで理解した。いま、ふりかえってもこれは青春期の読書としてありがたいことだった。1967年か68年のことだったとおもう(もっとも本書の翻訳の原型は筑摩叢書に入る前にどこかで出ていたらしい)。

 歴史主義というのは、超歴史的あるいは超現実的な視点から真理観や人間観をのべるのをやめてみようという立場のことである。
 この視点をほぼ大筋で確立したのがヴィーコとヘルダーである。かれらは、歴史というものが数々の人間や民族が去来する「場」の上で繰り返していく様相を初めて見抜いた。
 そのような「場」を当時の言葉で corso ricorso という。
 ただし、このような歴史主義の目が研ぎ澄まされるまでの、その前哨戦はかなり長かった。マイネッケはその長いプロローグを徹底して描こうとした。それが本書の舞台となった18世紀の哲学史にあたる。

 その後、歴史主義はサヴィーニ、ランケ、ドロイゼンらに継承され、19世紀末になってディルタイによって哲学性を与えられた。そこに「体験→表現→了解」という歴史的な生の連環性があらわれた。
 しかし、この生のサイクルはすべてが相対化されがちにもなっていく。そこでエルネスト・トレルチが「現在的文化総合」という観点を導入し、カール・マンハイムが「知の遠近法」を導入して、相対主義からの脱却を試みた。これはいまからおもえば、山口昌男らが“復権”させた試みでもある。そして、そのような試みが進んでいたころにマイネッケが登場して、本書によって「歴史主義の背景」をおさらいしてみせたのである。

 こういう本は「好み」によって読むものである。学問の系譜のなかで読むのなら、やめたほうがいい。旅行先で街を歩くように読む。それがいい。
 ちなみに、この本では意外なことも教えられた。当時の哲学論文、たとえばヴィーコの論文などは、他の学者たちによってつねに黙って盗用されつづけていたらしいということだ。
 早すぎる提案者たちや予言者たちの成果というもの、どうもこういう宿命を負うようだ。

参考¶トレルチ全集『歴史主義とその諸問題』(ヨルダン社)、マンハイム『歴史主義』(未来社)。

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